文明のターンテーブル

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宮城県に生まれる。
似非モラリズムとポリティカル・コレクトネスに囚われている民主主義陣営のメディアや政府を、プロパガンダを本質とする共産党の一党独裁国家に代表される全体主義国家が工作する事は、赤子の手を捻るよりも容易い。

2014年09月11日、朝日新聞木村伊量社長の記者会見が行われるまで、朝日新聞に支配されていた日本。
私が小学生の時分までは、その弊害が、それほど大きくはなかったのだろう。
頻繁に全国一斉学力テストや知能テストが行われていた。
所が、私達の時代以降は、これを差別だ等と言って殆ど実施されていなかったらしい。

小学5年生の時である。
上記のテストに於いて大変な数値を叩き出したとして、私は校長室に呼ばれた。
小学5年生にして既に高校2年生の能力を有している。
私は宮城県のみならず東北地方で最も優秀な進学校で学んだ。
東大ではなく京大が私が更に学びに行くべき所、そう思っていた。
恩師の一人は家庭的な都合で京大ではなく東北大学に進学、母校で歴史を教えていた。
中学生時分にはトルストイの「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」等を読破していた私は、
高校生時分は、何故か、芥川龍之介に傾倒していた。

1917年、レーニンがソビエト共産主義国家を樹立したロシア革命は世界中の知識人達に大きな影響を与えた。
芥川龍之介は風貌通り、繊細の極みの様な鋭敏な感性を持った文学者である。
彼もまた深甚な影響を受けた。
労働者の国が出来た以上、知識人の存在理由は無くなった等の、如何にも書斎派らしい陥穽も彼の自殺の一因だったと私は感じていた。

だからだろう、私は母校の図書館でロシア革命前後の文献を読み漁った。
それを恩師は知っていたらしい。

ロシア革命の単元が来た時、「ここは俺よりもKの方が詳しいから」と言って、私を教壇に立たせた。
私が、宮城県下の俊秀たちを目の前にして行った講義は2回、2時間に及んだ。
私は、この講義を、芥川が「侏儒の言葉」でレーニンについて書いた一節を紹介して終えた。
「レーニンよ。君は東洋が生んだ草花の匂いのする電気機関車だ」

私のクラスメートに理科系で1,2の頭脳がいた。
彼は中学生の時から理科系の優秀な頭脳として宮城県下に知れ渡っていた。
私は文科系として知れ渡っていた。

約5年後、私と彼が遭遇した場所は仙台の職安の階段だった。
彼は日本を代表するエリートが進む道を歩んだのだが、最後に、全共闘に絡めとられた。
私は、彼とは全く対照的に、いかにも文科系だったからだろう、生まれ育った家庭の不和が、必要以上に応えて、同級生の誰も知らない横道に逸れた。
卒業文集に、「このKはいずれ日本の文壇に大きな足跡を残すのだろう」、と書かれた私が、そうならなかった最大の理由は、ル・クレジオの著作に遭遇したからである。
この世には、あなたと全く同じ人が、もう一人いる、との言辞があるが、私は、全く、そのように、彼を捉えた。
彼が書いている以上、私は書く必要はない。
また、本(小説)は読んだらバケツに捨てれば良い。この世には一冊の本だけがあればよい。
そうして、彼の出世作であり、私が最も好きだった「逃亡の書」どおりの人生を私は歩んだ。

母校の同窓会名簿には、私は長い間、消息不明と記載されていたらしい。
就職らしい就職は今の長谷工コーポレーション。
2か月半に渡る身辺調査をしていたらしい。
世間的にも明らかな秀才が、個人的な、家庭的な苦しみで人生を大きく横道に逸れるとは普通は考えないだろう。
学生運動に関わっていたのではないか?これを会社が懸念したからだろう。

不景気のさ中の求人で、たった二人の採用に対して本社のホールは求職者で溢れていた。
当時の私は三和銀行の子会社である広告代理店で屋外広告の営業を担当していた。
この会社始まって以来と言う実績を上げていた。
子会社の給料は安い、それを改善する爲に組合を作ろうと社員達が動いていた。中心人物は関大と関学出の男二人だった。
終業後、近所の空きビルの一室に集って、設立準備を始め出した。
だが、二人の間で、言わば、総評路線VS同盟路線の対立が始まって、空論し出した。
私は、「給料を上げてくれ、というだけの事のはずだ。路線云々は関係ない。そんな事を本題とするのなら、私は抜ける」と言って、脱退した。
ちょっといずらくなった。
そんな時に、長谷工の募集があった。

講堂一杯の人達は、言わば必死の形相だった。
私は、この人たちの大半は落とされるな、と感じていた。
私は、と言えば、阪大卒の担当を含む総数7人の面接官を、大いに笑わせたりして応対していた。
後に知った事だが、「Kが面白い、あれを採用しよう」となったらしい。
それが不動産業を生業とした契機だった。

その後、大阪住宅流通グループを創業。
全国的には無名の不動産業者としては、日本有数ではないか、と評された。
その最盛期の、たった10年間だけでも、日本国に170億円超の納税を果たした。
以降の事から今日については本ブログに記述されているとおり。

大阪再生の要であると私が周囲の人たちに公言し続けていた大阪駅前北ヤードの事業についての混迷が酷すぎたから、2010年7月に仕方なく、こうしてインターネットに登場した。
以来、gooとアメーバに、連日、多数の言語で、世界に発信し続けて来たが、今回、正に、時が来て、課金制のブログとして本ホームページを作成した。

同時に、読者は御存知の事情でクラウドファンディングを開始する。

2021年6月吉日。

今回、有名法律事務所を使って、以下の4つの訴訟を行うためにクラウドファンディングを開始します。
これらの訴訟は全て世の為、人の為に行うものでもあります。
1989年、時の総理大臣だった宮澤喜一は頭脳明晰な人間でしたから、マスメディアがバブルとのみ呼称した現象は、単なる景気の循環ではない事に気づき、金融機関に積みあがっている不良債権を一気に解決する為には、金融機関に対して10兆円から15兆円の規模の公的資金を一気に投下して問題を解決しなければならないと、夏に軽井沢で開催された自民党のセミナーで講演した。
米国は、当時も、今回のコロナ禍でも一気に多額の公的資金を投下して問題を解決した。
米国には自虐史観で政府を攻撃する事が社是である朝日新聞がなかったから、誰も、国の方針を阻害する者はいなかった。
宮澤喜一は決断力と実行力、突破力に欠ける政治家だった。
1990年初めに政府が朝日新聞経済部の一記者の論説に負けて行った不動産、建築、銀行業界に対する融資の総量規制が今に至るも続いている日本のデフレを齎した。
この時、私は全国的には無名の不動産会社としては日本有数の仕事をしていた。
最盛期のたった10年間だけでも日本国に170億円超の税金を納付した。

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記事の有料購読について

2010年7月、「文明のターンテーブル」が、インターネットに登場した経緯については既述の通り。
「文明のターンテーブル」は21世紀で最も重要な発見の一つである。

30年以上前に、東京芸大を出てローマで画家として苦闘していた親しかった同級生に発注していた仕事の件でローマに8日間滞在した。
その時に、私が若い時から考えていた事に対する答えが浮かんだのである。
米国と並列する形で(米国を補佐する形で)日本に文明のターンテーブルが回った理由についても既述の通り。
物事の真相を究明する世界最高の論文は、日本の各界各層に無数にいる本物の知性によって日夜書かれている。
だが、登場して直ぐに私は気が着いた。
世界は全く日本を知らないと言っても過言ではない事に。
つまりインターネットの世界で日本語で書いているだけでは意味が無い。
幸い、私は少々英語は出来る。
直ぐにgoogle翻訳に気が着いた。
英語・フランス語・ドイツ語・イタリア語・スペイン語・ポルトガル語、これら主要な6つの言語は語源は同じ、ラテン語である。
google社は日本で言えば、東大、京大と同等と言っても過言ではないスタンフォード大学出身者で出来ている会社である。
そこの翻訳ソフトは、英語が正しければ他の5言語も正しく翻訳されるはずだ。
その通りだった。
だが、日本語~英語は全然ダメだった。
上記の主要6言語の他に英語からの翻訳が極めて正確だったのがアラビア語だった。
私は、この時、戦後の米国が力を入れていた地域が何処で、軽んじていた地域は何処かという事にも即座に気づいた。
多い時には約100か国語で世界に発信した。
読者は御存知の様に私はgoogle翻訳の世界一のヘビーユーザーである。
先年、deepl翻訳はgoogle翻訳より優秀だとの記事を発見してからは、日本語~英語においては、deepl翻訳の世界一のヘビーユーザーに成っている。
以来、ほぼ連日、数十か国語で世界に、無償で発信して来た。
私の親友が無償で各国語への翻訳、そして発信、その作業を続けて来てくれたからである。
それが限界に来た。
親友は元々視力が弱い人である。
読者は御存知の件の犯罪者に依る執拗な犯罪行為によるストレスも相まって、只今、入院生活を余儀なくされている。
ホームぺージを作るのにも多額の費用が要る事は言うまでもない。
それにgooやアメーバが外注している検索結果等に、ネット上の犯罪者達が侵入する事、或いはパスワードを盗んで、成りすます等の犯罪行為を為す事は、犯罪者たちに取っては容易い事だろう。
或いは、まともな市民を装って、苦情攻撃を行う等が簡単な事は、中国や韓国の反日プロパガンダ部隊が実証している。
上記の運営会社には何度も電話相談もした。
だが全く改善されないだけではなく、月間3000以上は投稿できない等と言う信じがたい規則がある等と言う始末である。
私は有料会員であるにも関わらずである。
とにかく、時が来たのです。
そもそも「文明のターンテーブル」は無料で読まれるべきものではない。
挙句に愚劣な犯罪行為を働かれ続けている事を放置しておくようなものでは全くない。
インターネットの時代に成って約30年、
「文明のターンテーブル」は、世界で唯一無二のブログである。
日本国民のみならず世界中の人達が毎日必読のブログである。
日本語、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、アラビア語、アフリカーンス語、インドネシア語、スウェーデン語、スワヒリ語、スロバキア語、等、私が発信する言語国民の人達は、是非、ご購読下さい。
また、私が発信していない言語国民の方が定期購読して頂く場合は、記載のメールにお知らせください。
定期購読して頂いている期間は、毎日、あなたの言語でも、物事の真相を明らかにする世界最高の論文を、お届けします。
また、これまでは、件の犯罪者の悪辣な行為を受けていた事もあり、私のプライベートな事は殆ど書かずに来ましたが、これからは、必要とあれば、戦後の日本で最高の知性を授かった人間の一人の人生と、「直感」を開陳します。
本欄で書き続けた事は、その都度、書籍化もして行きます。
その総体として、いずれ、トルストイの「アンナ・カレーニナ」を凌駕する「21世紀のアンナ・カレーニナ」が出来上がっていれば深甚です。
課金制とする事を決意した時、気が着きました。
私が書き続ける限り、世界最高の知性と自由を持った国である日米が、並列して世界をリードして行く「文明のターンテーブル」は、後170年続きます。
本欄も、後170年続きます。
皆様方の支援もまた、「文明のターンテーブル」となって、私と同等の知性を持った学生達に受け継がれて行きます。
彼らにとっては最高のアルバイトにもなります。
安月給に甘んじて、世の為、人の為に、研究に明け暮れている人達にも最高のアルバイトとなるでしょう。
各国語に対する感性を研鑽しながら生活費にも充当できるのですから。
どうぞ、世界中から無限のご支援を頂くことを祈念します。
2021年6月吉日。

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ただし天幕を支持したのは保守の柱一本で、近年は故安倍晋三元首相が両の腕でこれを支えた。

以下は今日の産経新聞「正論」に、自民「大テント党」瓦解のその先、と題して掲載された、富士通FSC特別顧問 元内閣官房参与谷口智彦氏の論文からである。
谷口氏が安倍政権の内閣官房参与だった事は周知の事実である。
私は、彼の論文は、いつも敬意をもって読んでいる。

自由民主党は英語なら大テント党とでも呼ぶべき大きな幕屋であって、中では何でもござれだった。
右であれ多少の左であれ。
ただし天幕を支持したのは保守の柱一本で、近年は故安倍晋三元首相が両の腕でこれを支えた。

立党70年「終わりの始まり」
その頃テントは高く上がって世界からよく見えたと思ったら、安倍氏がいなくなった。
柱からは針金様のステーが何本も延び地面に刺さっていたけれど、これは岸田文雄前首相が根こそぎ外した。
幕屋はそれでも倒れないと思ったのだとしたら、その短見浅慮をいかにせん。
事実われわれは7月20日、参院選挙の開票とともに、天幕は吹き飛び幕屋が倒れる音を確かに聞いたのである。
立党はちょうど70年前だ。
ソ連の影響力工作に学者や文化人が手もなくやられる中、自民党だけは反共を掲げた。
日米安保体制堅持を言うのが当時いかほど不体裁であろうとも岸信介の奮闘よろしきを得て確乎(かっこ)不抜を通した。
支配政党が変わらない一点で日本民主主義を半人前扱いする者があれば、自民党以外の選択肢はなかったことを教えてやるとよい。
私有財産制と日米安保の護持にさえ誓いを立てるなら後は委細構わず、自民党は大テント党になった。
高度成長を背に福祉拡充を急いだ同党は左翼に翼を延ばし、政治的な対立それ自体を包摂・解消せんばかりの勢いだった。
全政党が福祉充実を主張し、戦争にまつわる怖そうな話は当面みんなで箱にしまっておくことにした時期が、かくして生じた。
表向きはさておき、全国民総自民党員だったようなものだ。
共産党独裁の隣国が超大国化し、人類史に超絶する軍拡を続けて世界秩序を振り回すだろうなどと、誰ひとり思わない無邪気な頃だった。
箱の封印を開いて自尊自立と自衛の道に日本を導こうとした安倍氏の同志たちは、これからという時に追放の憂き目にあう。
しかして自民党の、終れりの始まりだ。

幕屋が吹き飛んだあと
左右の対立軸は、幕屋が吹き飛んだ今、いっそう尖鋭に見える。
米国などと違って、政府の規模や介入の深浅は、本邦における左翼右翼の別とあまり関係がない。
福祉支出額が米国の軍事予算に匹敵する日本のような国で、政府を縮めろ、小さくしろと唱える立論はもとより成り立たない。
蓋し日本でいう保守主義とは口イヤリストでありモナーキストであって、あるいはトラディショナリストであると、ごのごろ筆者はそう説明するごとにしている。
最初の2語は、細かい語義の差はさておくとして、どちらも皇統の存続を重んじる考えだ。
天皇のご一家は、人類史に稀な継続を保たれて今日に至る。
とかく長く続いたものには、その背後に無数で無名の人々の献身があるから尊いのだと、伝統重視のトラディショナリストなら考える。
途方もなく長い時間をかけて守ってきた神社仏閣や伝統、仕来たりが、日本には恐らくとても多い。
別名をツーリズムと称す粗暴な力が突如現れそれらを踏みにじるのは正視に堪えないと、トラディショナリストは思う。
そしてこの感情を「日本人ファースト」というやや露悪的措辞を思いついた参政党がうまくさらって行った。
左翼は往時と違って資本制を否定しない。
日米安保も渋々ではあれ受け入れる。
しかし彼らに今なおあるのは日の丸を見て嫌悪する神経的反射であり、「君が代」を歌うと自分の中の何かが壊れてしまうかに思う感性の偏頗(へんぱ)である。

明確に針路示す政治家は
自分が日本人であることは冷めた目で突き放すがよく、ゆめ、そのことを誇りに思うなどしてはならないと思ううち、およそナショナルなものの一切合切が、彼らにおいては憎悪の目的物となる。
移民はゆえに、左翼にとってむしろ歓迎の対象だ。
日本的価値を薄めるか混乱させ、ありがたくなにいものにしてくれると期待してである。
おっつけ彼らは、日本の土地で出生した者には自動的に日本国籍を与えろと言い出すだろう。
左翼が昨今とかく反イスラエルである事情にも察しがつく。
自国の存立を懸け周囲の敵すべてを無力化すべく懸命の武装国家など、ナショナルな上にもナショナルな存在で嫌悪感を催すのであろう。
一方で軍備増強を急ぐ中国に対し、左翼は概しておとなしい。
真剣に対峙しようとすると、自身をナショナルな存在に変えねばならない。
それを嫌うからだと見る。
いま「左翼」と称してきた勢力は、大テント党・自民党にも元々かなりいた。
今次選挙は比例代表に回った保守派の多くを失職させ、党内左翼に力を与えた形だ。
自民党から保守主義を奉じる人々が去ったか去ろうとしている今、天幕のないかつての大テント党はどこに行こうというのか。
往昔、日本政治にあったかもしれない定常状態はもうない。
事態はつとに流動している。
「ここに行くのだ」と明確に声を挙げる政治家が一人また一人と現れない限り、有権者の不満は鬱積する。
何につけ鬱屈は、不穏を招く。
(たにぐち ともひこ)