9月4日の夜の事。
この日の朝日夕刊の文化欄がテーブルの上に拡がっていた。
知の探検家 梅棹忠夫の軌跡 文明の生態史観
という見出しが右に、左に若い時の梅棹忠夫の半身写真が在った。うん…と思い、読みだした僕は、声を上げた…おおっ!…やっぱり、と。
日本は世界の辺境にある。それは宿命なのだから、とことん辺境人でいこうじゃないか…僕の「文明のターンテーブル」第一章の…真の島国として…世界のガラパゴスであれば良いのです…と全く一緒じゃないか…やっぱりな…
日本有数の進学校で、間違いなく俊秀だった芥川を、廊下で捕まえて…京大に縁の在った歴史の名物教授が言った事…お前は大学に残って、京大を背負って立つ人間に成るべし…。
先生、その言葉に間違いは無かったけど、僕は高校3年生の時に、愈々、完全な家庭の崩壊に遭って、後は、もぬけの空だったのです。
が、貴方の仰った事は全く間違いではなかった…40数年も時間を掛けましたが…その内の20年は本当に無駄だったと僕は思う…とにもかくにも、書き出しました…それがいきなり梅棹忠夫と同じ事を指し示していたとは…
と思って読みだしたら、神戸女学院教授の内田樹のベストセラーの解説だったが…第1章で内田は、自分の言いたいことは梅棹忠夫の著書「文明の生態史観」で語られていると記す…で、なるほど、それなら分る…
だって申し訳ないけど、内田さん。僕と梅棹忠夫の頭脳にだったら分るから…殆ど同じ事が、全く違う人生を歩んだ二人の頭脳に宿ったと言う事の意味が。
僕は、読者の方たちに、安心して、「文明のターンテーブル」は、本物のGiftedの文章の数々だと思って読んで下さいと…何のけれんみも無く…お伝えします。
真夏の夜の怪談を言っているのでは有りませんのでご了承ください。
それから、数日後に、思い出した事…僕の家の隣には、大変な別嬪の神戸女学院教授が住んでいた…ときたま、お母さんと一緒に出入りしている時に、玄関口で顔を合わせ、挨拶を交わしただけだった。
彼女が引越しをすると言うので、我が家(と言っても普通のマンションですが)の斜め向かいに在った弊社事務所を訪ねてくれた。「社長さんとは、長い事、隣同士なのに、一度も、話した事がありませんでしたから」と言って…ほぼ20年前の事です…。
社長室で、僕は、彼女に、25年前にローマで見つけた答え「文明のターンテーブル」を話したのでした…当然ながら、株式市場云々、日本再生云々の部分は在りません…彼女がキリスト教に帰依していて、自らも、或る教会の指導的立場に居る、と言う事を、妹から聞いて居たからです。
彼女が、僕の「文明のターンテーブル」を、一番、最初に聞いた人でしょう。
何故、思いだしたかと言うと、後日、妹から、「先生が、お兄ちゃんの話を聞いてから、三日三晩、眠れなかった、と言っていたよ…あんな観点からの話は聞いた事が無かったし、考えた事も無かった…って」。あたしには分らないけど、大変なショックを感じたらしいよ…と聞かされたからです。
©芥川賢治
因みに、僕は、梅棹大人には、真に申し訳ないのですが、先生の「文明の生態史観」は全く読んでいません…その他の本も全く読んでいない…何故?…もはや学問の世界には戻れない…僕は現実の仕事で稼ぎ自分を確立するしか道はない…と思った時、僕は心に決めたのです…これから10年間は、見たい映画も、読みたい本も一切読まない…仕事に没頭する、と。
その日から、午後6時以降は、仕事なんか、一秒でも、とんでもないと思っていた僕は、
…夜中の2時まででも、3時まででも…仕事が出来る人間に、突然変わったのでした…
以来、皆さま方の本は殆ど読んでいないのです…本能で、本物かどうか僕には分かりますので…僕は、ただひたすら、神様が使命として僕に与えた一冊の本を、何時、どのようにして書くのか、…テーマがテーマですから、一体、どのようにして書けば…ずーっと、そのことだけを考えて生きてきたのです。
ジョン・レノンとボブ・ディランに励まされながら(涙…)
©芥川賢治
注:僕が、Uさんと言って言及して来た人物はちょっと似た名前ですが、当然ながら梅棹忠夫大人ではありません。