アーケイド・ファイヤーの、2005年・パリ郊外のライブをU-tubeで、探して。

驚いたね。

U-tubeで、Arcade Fireの、パリ郊外でのライブ・コンサートを観ようと思ったら、
2009年のライブなんて、初っ端に出て来たから「オッ、最新のライブかと思ったら、
上智大学の学祭かなんかで、ストリートライブの様に、若者が演奏したものだったから。

やるじゃないか…ボーカルは今いちだったけど、やっただけでも大したものだよ…後は、今の現状や、マスコミ、特にTVの有り様について、君達から、寸鉄人を射る様な、批判論文が出てきたら、日本は、間違いなく再生するんだけどな。

若者に値打ちが有るのは、ロケットの最先端を行っている場合のみなのだから。

若者は…若いだけで美しいじゃないかって?
馬鹿を言っちゃいけない。

世阿弥が、600年も前に、何と言ったか知ってるかい?
…季節毎に咲く、時分の花は、まことの花ではない。
まことの花は、老木に至るまで、散らで残りしなり…と、言ったのさ。

僕が何度も言及している、今の、日本のマスコミ、特にTVが、本当に駄目なのは、この、時分の花、ばかりを追いかけているからでもあるんだよ。

その態度が、国にとって、一番大事な政治にまで影響を及ぼし出して…作った20年なのだよ…君達の20年先輩から、今に至るまで、君達が就職困難時代を経験して居るのは、そこにも本質的な原因があるのさ。

そういうマスコミを、何らの疑いも抱かず…或いは、一緒に浮かれたりして…唯々諾々と従って来た、君達にも、実は、責任は有るんだよ。

上智大学路上でのバンドの心意気は良かったけど…。

例えば、彼らのリード・ボーカルである、ウィン・バトラーの…妻でもある…レジーヌ・シャサーニュが、様々な楽器を弾いている時…特にドラムを叩いている時の映像を観て、僕は衝撃を受けた…何故?…あれこそが音楽そのものだから…

彼らは、音楽とは何なのかを全員で体現している。

それは、エリート層が教養の様にして語るクラシックよりも、
遥かに尊いものだと僕は思っている。

何故?…クラシックは、エリート層が、教養の様に語った、その瞬間に、腐っているからさ。

小林秀雄の「モーツァルト論」なんぞは、僕に言わせれば、屁の様なもの。

音楽とは、そもそも、叩き、打ち、奏で、体を揺さぶるものだからさ。

まぁ、音楽の真髄の凄さについては、僕が、いずれ書き出す、使命としての本を期待して下さい。

僕は、そこで人間の思索の根源と、私たちの国に今でも在る本質的な病…これこそが、本当は「失われた20年」に成った、本当の理由…それを僕にしか書けない…構成と文体…で書き上げるから。

僕は、この文章を書いていて、小沢一郎氏も…勿論、僕とは違う角度で、結論としては、同じ事を、ずーと考え続けて来た…氏の場合には、政治家だから、その現実的な完成…真の民主主義…自立した国…と言う事を目指し続けて来たのだと確信し出している。

だからこそ、無口だったのだと。…ペラペラ喋れる事じゃなくて、一生を掛けてしか出来ない仕事だから…多分、彼は、一生、その真髄を言わないと僕は思っているが。

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