親友、S君とO君に。
あの日、我が母校では一番大事な行事…高校3年生に成った者たち全員を講堂に集めて…元々、県下の中学校の成績最優秀者揃いに…教育家の中の教育家だった名物校長が…部活等はお終い…これから君たちの人生に向かって1年間、集中するんだぞ…分けてもライバル校には後れをとったらいかん。
その日を境に全員の目つきが変わって、それぞれの志望校に向けた勉強を開始する、あの日、家に帰った僕には、家が無くなったのでした。
あの日から、僕は、この家から逃亡する事だけが、自分の目的だった。
県下で一、二の富豪の家に、昔の書生の様にして住み込んだのも、実は、その逃亡だったのです。
その前に、窓も無い、街一番の繁華街の一部屋を借りて住んでいた…夏の暑さは地獄の様だった時、母校で、上記の家庭教師の話を、或る先生から聞いた僕は、一も二も無く、用務員さんからリヤカーを借りて、机と椅子と本と蒲団だけが荷物だった…それが、それからしばらくは僕の人生そのものだった…暑い夏、結構、遠かった道のりを、一緒に、リヤカーを引いてくれた、SとOよ。
僕は、君たちに不義理ばかり尽くし、君たちが精神的に、僕を必要としていた時、何の助けにも成ってやれなかったけど…そんな恥ずかしい僕だったけど、
貴方たち二人に抱いている友情と感謝は、永遠に、僕の心の中に在るよ。
僕に出来ることは、後40年、書き続けることだけだけど…。
或る時期まで、僕の人生は、ボブ・マーリィの♪No Woman No Cry♪そのものだった…
…
My feet is my only carriage
So I’ve got to push on through
But while I’m gone…
Everything’s gonna be alright
Ev’rything’s gonna be alright
Ev’rything’s gonna be alright
Ev’rything’s gonna be alright
Ev’rything’s gonna be alright
Ev’rything’s gonna be alright
Ev’rything’s gonna be alright
Ev’rything’s gonna be alright
No woman, no cry
No, no woman, no woman, no cry
Oh, little sister, don’t she’d no tears
No woman, no cry
この曲をFMの「ビート・オン・プラザ」で日本でも一番最初に聴いた時、僕は涙が止まらなかった…勿論、彼が、フェスティバル・ホールに来た時は、親友と一緒に、聴きに行ったよ…あれは、歴史的なライブだった。
ボブ・マーリィは本当に素晴らしかったよ。
タイム誌が20世紀の音楽として永遠に残ると評したのも当然。ジョン・レノン。ボブ・ディラン。ボブ・マーリィ。この3人は別格だし、僕は、この3人に、本当に大きなものを負っている。
僕は、君たちと会えなくなってから、彼らに導かれ、助けられて生きて来た、つまり、彼らを親友として、地獄の黙示録(笑)を生きて来たんだよ。
それが桑原武夫の後を継ぐはずだった、僕の40年だったんだ…。
©芥川賢治