「バルテュス、自身を語る」 バルテュス、アラン・ヴィルコンドシ著 4月10日日経読書欄から。
評者:大原美術館長 高階秀爾 黒字化は芥川。
バルテュスは生前、人嫌いで有名であった。今から半世紀以上も昔、私はバルテュスに会いたいと思って彼の展覧会に出かけて行ったことがある。画廊の主人は、何も知らない学生に、呆れたように告げた。
「君はバルテュスが自分の展覧会に姿を見せるとでも思っているのかね」
たしかにバルテュスには、新聞記者や批評家などを避ける傾向かあった。しかし彼は「語る」ことを好まなかったわけではない。1961年、はじめて日本を訪れた時、私は通訳をかねて京都の社寺の案内に同行したが、その時は毎晩遅くまで、ホテルのロビーで多くのことを語ってくれた。
このたびはじめて「自身を語」った彼の回顧録が刊行されたことは、バルテュス芸術の愛好者にとって、何よりの贈物である。
作品の秘密を解き明かす語り
そこでは、少年時代の思い出をはじめ、親しかった友人たち、愛する家族との生活、そして何よりも制作に没頭する至福の時間などが豊かな追憶の情をこめて語られているが、同時にそれが彼の作品の秘密を解き明してくれるからである。
もともとバルテュスの描く世界は、パリの街角やスイスの山脈をはじめ、人間、室内、静物などごく身近なものばかりだが、いずれもどこか謎めいた不思議な輝きを放っている。それは彼が「存在するものの神秘」に深く感応しているからである。「存在を凝縮したもの、その神秘を解き放」つという言葉が、彼の意図をよく物語っていよう。
人間を描くにしても、「その人の内面に隠れて見えない核」をつきとめ、それを「構成と秩序と構築をとおして外に出したい」という。
彼が、プッサン、クールベ、セザンヌ、中国の画家、そしてピエロ・デッラ・フランチェスカなどイタリア派の画家たちを繰り返し称えるのは、彼らがこの困難な課題を達成したからにほかならない。
20世紀のさまざまな流派、グループのいずれにも属さず、孤高の道を貫いたバルテュスは、これら偉大な先人たちと同じ精神的家族の一員と自ら感じていたに違いない。
そのことはまた、創造者にとって伝統を受け継ぐことの重要性を物語るものでもあろう。