歴史は、だれか他人がつくるものではなくて、わたしたち自身がつくるものだ。…梅棹たいじん。
今朝、日経新聞の或るコラムニストが書いていた事について…芥川は、全く、個人攻撃を為す為に、物を書く人間ではなく、その間違いや、彼らの思考の在り方の背後に在る神を糾す為に書いているので、ここで名前は出さないが、…彼については、芥川の読者ならお分かりの様に、emperor-banzai-fascism の名残である、「下品」=「悪」の三段論法を継承し続けて来た、第一人者なのではあるが。
今日も、「核心」と題して大きなスペースで論説を張っている。
彼の論説の特徴は、読者諸兄はご存知の様に、…枕に、その時々の「話題の大家」を上げてくるのである。
先般はサンデルの正義論を挙げて…芥川は、この時が、彼の論説を目にした初めだったから、…芥川は全く読んでいなかった、読みたいとも思って居なかった、
サンデル教授の論を解説してくれるのかなと期待して読み進めたら、解説なぞは皆無で、要は、当時(と言っても、つい、数か月前の事だが)のマスメディアが挙げていた…「小沢一郎は大悪人である」大合唱の提灯持ちを為すものであったから、本当に驚いたのだった。
これでは、サンデルさんも、目を白黒だろうな、と。…該当する章をご参照ください。
今日も殆ど同じ様なものなのだが、そこには彼が知らない事の幾つかが在るので、その事だけをお伝えしたい。
タイトルは「トインビーをもう一度」というものだった。
…英国の歴史家アーノルド・J・トインビーが、着想から40年、大著「歴史の研究」を書き上げたのは半世紀前の1961年だった。
壮大な歴史観に、日本でも文明論ブームが起きた。
大震災・原発事故の国難に見舞われた今、トインビーの「挑戦」と「応戦」の理論に学ぶことは多い。
トインビーによれば、文明は逆境で生まれる。自然的環境や人間的環境からの挑戦(チャレンジ)に人々の応戦(レスポンス)が成功したときに興る。
…中略。
*Tさん、今の政界で、トインビーを熟読吟味して、己の政治思想の一部となしている政治家は、芥川の知っている限り、貴方が悪の三段論法で、犯罪人と成した、小沢一郎、ただ一人であろうと言う事。…中曽根康弘は読んでいるかもしれないが、民主党の中に、その様な人間は、彼の他には一人も居ないことは間違いがない。
…その後始末でもしくじった。日本と同じころバブルがはじけたスウェーデンは公的資金をつき込み、不良債権を手早く片付け、危機を境に国際競争カランキング上位の常連になった。
日本はといえば、地価の戻りに期待をつなぎ、不良債権処理という抜本策を先送りし「失われた」年月を重ねた。
「不都合な真実」から目を背け、挑戦を正面で受け止めなかった。
*地価の戻りに期待をつなぎ、不良債権処理という抜本策を先送りし「失われた」年月を重ねた…これを為したのが貴方がたマスメディアで在ったことは、もはや歴史的事実であるにも関わらず、よくも、まぁ、こういう他人事な言い方…政治家に責任転嫁する、この厚顔無恥な頭の構造…これを管直人たちは、真似て大きく成ったんだろうな…と、芥川は、今や確信するが。…そして次から次と、流行り言葉を、ウケねらいで散りばめて。
トインビーは挫折した文明の共通項に「自己決定能力の喪失」をあげた。状況に振り回され、応戦ができない文明は衰退する。
*だから芥川は現内閣は即刻退陣すべし、自ら身を引くべき、出処進退を知るべしと言い、皆さんにも声を挙げるべしと言っているのだ。
それは何故か? 昨日、思う所あって再訪した「ウメサオタダオ展」=彼の遺言としての、自分の脳内開陳=から、或る言葉を添えて、お答えします。
歴史は、だれか他人が つくるものではなくて、わたしたち自身がつくるものだ。