この庭の作者は、銀閣寺の作庭をする前に作ってみたのだそうだ…長楽寺。

或る事の次いでの様に、円山公園に在る長楽寺(何度も円山公園には立ち寄っているが、この寺には気が付かなかった)に向かった。

一遍上人が源平の戦いで敗れた武士(といっても、瀬戸内海の水軍=海賊の孫だったとは知らなかった)の子孫であることや、彼が広めた時宗(踊る念仏教)が、現在の盆踊りの起源であると…。そう言えば、そうだったなぁ、等と。国宝・一遍上人京洛図のコピーを観ながら思ったりした。

しかし、この寺の坂道ぶりには、ちと参った。昼前でもあったし、頼山陽のお墓にまで上る気力・体力はなかった。

この庭の作者は、銀閣寺の作庭をする前に、作ってみたのだそうだ。実に小さな庭だから絵コンテのつもりだったかも。

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