「サッカーと独裁者」スティーヴ・ブルームフィールド著…日経新聞1月22日21面より

政治が介入するアフリカの実情  サッカージャーナリスト 後藤健生
英国の古豪アストンビラの熱心なファンでもある著者が、特派員として赴任したアフリカ大陸のサッカーに興味を抱き、13の国でサッカーを見て回った報告である。代表戦から国内リーグ、悲惨な内戦で片脚を失った障碍者たちの試合まで著者の興味は尽きない。
どの国でも選手たちは純粋にプレーしている。だが、取り巻く環境は最悪だ。サッカー協会の幹部連中は私腹を肥やし、施設は劣悪で選手や監督の給料は未払いのまま。そして、政治的なボスがさまざまな形で介入してくる。
アフリカの状況に対して我々はあまりにも無知だ。あの大陸の政治指導者の名前を何人か挙げることができたら、あなたはもう立派なアフリカ通ということになる。
だが、サッカーファンならドログバやエトオ、古くはウェアやミラなど、アフリカの選手を10人や20人挙げるのはたやすいことだ。
状況は欧州でも変わらない。だから、「サッカー」という切り口からアフリカの政治や社会を紹介するというのはすばらしいアイデアなのである。ただ、たしかに「独裁者」が介入してくる実情はわかるのだが、サッカーと独裁者との相互関係がもう一つ腑に落ちない。
独裁者たちはサッカーに介入することで何を得ようとしているのか。あるいは、逆にサッカーというスポーツはアフリカ社会に対してどんな影響力を持っているのか。そのあたりについて、著者にはもう一歩踏み込んでほしかった。
たとえば、アフリカの政治や社会の問題のかなりの部分は、19世紀に現地の事情に関係なく欧州諸国によって勝手に引かれた国境線によって民族が分断され、また一国の中に多くの民族を内包するために国民意識が育ちにくいことに起因する。
その点で、サッカーは国民意識形成のために何らかの機能を果たせるのではないか。現地社会について最も突っ込んだ考察がなされているのはケニアを扱った第4章だ。そこが著者の任地(居住地)だからだろう。
サッカーを通じてアフリカを知ろうというファンにお勧めしたい本だが、サッカー関連の用語や記述に過ちが散見されるのが残念。

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