「紅茶スパイ」サラ・ローズ著…日経新聞2月19日23面より

19世紀の技術移転プロジェクト  評・作家佐藤亜紀

所詮は紅茶、他愛ない嗜好品だが、植民地主義の時代である19世紀中葉、中国産の茶は、イギリスの綿布をインドに輸出し、その売上でインドの阿片を買って中国に売り、そのまた売上で中国の茶をイギリスに輸入する、所謂「三角貿易」の一辺を占める堂々の一大貿易品目であり、その輸入税と販売税は英国政府の財源の実に1割を占めていた。

そこで誰しも考えるのは、中国が独自に阿片の生産を始めたらこの貿易システムはどうなるのか、だ。悪名高き英国東インド会社は危機感を覚え、インドでの茶の生産を始めようとするが、産地として適切と目されるヒマラヤ山麓に自生する茶の木は、必ずしもイギリス本国のニーズに合致する品質を持ってはいなかった。

そこで、既に中国探検から様々な植物を持ち帰り、探検記によって名を上げていたプラントハンター、ロバー
ト・フォーチュンに、中国の茶の産地から苗を持ち帰り、製茶職人をヘッドハントするよう依頼する。言わば、インドへの紅茶の技術移転プロジェクトの一端を担う探検行だ。

フォーチュンの、中国人のガイドを伴い、中国人に変装しての道瑕は、今日なお名高い中国茶、武夷岩茶の産地である福建省に至る。時は1848年から49年に掛けて、太平天国の乱の前夜の不穏な状況の中でのことだ。

1980年代、中国進出に先鞭を付けた日本のビジネスマンや企業が直面したのとほぼ同じような、現地の習慣や文化が、この旅を更に不穏なものにする。しかもこれは、完全に非合法な、言わば産業スパイ行為である。ダージリン地方の初摘み紅茶は、日本の小売価格で、100グラム7000円以上するものもある。

その茶の木の起源がインドではなく中国であり、帝国主義はなやかなりし時代の野心溢れるイギリス人たちによるイノベーションの産物であることは、本書で初めて知った。

価格相応の美質を引き出すよういれるのがなかなか困難なお茶ではあるが、この本を読んだ後では、背後にある植民地主義の無理無体も含め、一際複雑な味わいに感じられるのではなかろうか。

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