芥川は、明治維新の群像よりも、信長、秀吉、家康を思う人間なのである。
そういう言論界の住人たちは、何かというと馬鹿の一つ覚えの様に、明治維新を持ちだし、昭和維新だの、へちまだのと言い出すのだが、明治維新を為した連中は誰一人として、この言論界に居る様な人間達ではなかった事に気付くべきだろう。
所謂、東大出の様なタイプは一人も居なかったと云っても過言ではないのである。
中心人物で在った者たちは皆、身に一物も持たない寒士達だったのである。
殆ど全員が下級藩士、下級武士達だったはずだ。一部の例外を除いては。
芥川は、明治維新の群像よりも、信長、秀吉、家康を思う人間なのである。
何故か、結局は、何者かに属した精神に於ける呑百姓に堕した在り様を、20世紀~21世紀に生きている人間として、どうして思えるものか。思える訳がないではないか。
一方、信長、秀吉、家康である。彼等は、それぞれに何者にも属さずに、己の知力と胆力と体力のみを頼みにして大革命を為したのである。
そのために常に感性を磨き続けたことも無論。
信長が一番凄かったのであろうことは秀吉も家康も、《聖は聖を知り、英雄は英雄を知る》、様に、知っていた事だろう。
それに当時の武将(特に大名たち)たちは、屹立する相手の知力、胆力を見極めようとやっきだったのである。相手の方が上ならば、決して戦はしかけない。
それだけではなく、本当の意味での捲土重来を期す…自分よりも優れた相手が生きている間は捲土重来…じっと待つ。
まったくもって、今、東大出等と言われている様な事とは全く無縁の人物たちが歴史を作って来たのである。
ひるがえって戦後の日本の政治家に、これをあてはめるならば、田中角栄を措いて他になかろう。
或いは、田中角栄がいたから、他の屹立する政治家も政治家足りえたのである。
しかるに、今は、どうなのかは、政治家諸兄が、自分の胸に手を充ててみれば、自ずと分かる事だろう。
歴史上、小物が無理をしてロクな事に成ったためしはないのである。
読者の方は御存知かも知れないが(だいぶ以前に書いたはずだから)、芥川が、まだ若かった時分に、秋田かどこかに、自民党の大物政治家がいたのだ。
彼が当時、言っていた事が芥川の頭から離れた事がないのである。
彼は総裁=首相候補たる自民党政治家は誰かを問われて答えていたのだが、質問者が竹下登の名前を上げた時に、即座に言ったのだった。
「彼の様な小物が首相になるようなら日本は終わりだ」、と。
芥川は、この20年超、ずっと、その通りだったな、と思い続けて来たのである。
あの政治家の見識…それが信長、秀吉、家康を産んだ国の伝統そのものだろうと芥川は確信しているのだ。
66年に一度の好著である拙著を、いまだに購読されていない方は、今すぐ最寄りの書店か、サイドバーのネット書店か、電子書籍で購読した方が良い(笑)。何故なら…
日本が再生し(元に戻り)世界を救える国になる、米国と屹立して世
界をリードして行く国に成る為には、拙著を日本中の方々が読まれて、
皆さま方が、芥川が書いた〈解答〉を、皆さま方が選んだ為政者に実行させるしかないのだ、と確信しているからです。
神に与えられた使命を果たしている結果としての言葉…に出会う。
「文明のターンテーブル」第一巻 近未来100万部突破。
銀河鉄道の夜.jp(「銀河鉄道の時刻表」)にてスタート。
<ネット書店>
文芸社/
≪BOON-GATE≫
