4月6日の事。

今日は家で安静にしていましょうという主治医の先生の指示通り、私はついさっきまで眠っていたのだったが、何故か母親が、夢か現かという状態で現れたのだった。
私の家というのは一番広い部屋が確か12畳超あった。
その部屋で…小春日和のような日だったが、母親は私にある話をし出したのである。

私の故郷の奥さん方というのは、朝、水揚げされたばかりの魚を大きな魚籠に入れ、更に名品と謳われている笹かまぼこ、焼きたてのかれい等を魚籠に入れて、仙台の高級住宅地の顧客に魚を卸していた。
が、私の母親の場合は、他の家の方々とはちょっと違っていたのである。
母親は黙々と、おじいちゃん、おばあちゃん、4人兄弟、夫婦2人、この8人家族を、私達が大人になるまで養い続けたのである。
だから、私は去年の3月11日に、母に死んで欲しくなかったのである。
今死んでもらったら困ると、私が思い続けていた事は、読者の方も御存知の通り。

その母親が、さっき私の枕元に現れたのだった。
去年、二条城で起きたあの奇跡、あるいは生きるか死ぬかの大病に遭って入院中だった時も、母親は2度、私の前に姿を現したのだった。
この時、信長と秀吉、家康殿が姿を現した事は読者の方も御存知の通り(笑)。

そんな夢を見て目を覚ましたのだったが、熱が上がったのだろう、体中の震えが止まらなかった。
39.4度、入院中を通じても最大の発熱だったか。


2012/4/1、天龍寺にて。

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