朝日新聞の報道が日本の国益にとってプラスに働いたことがあるのかー振り返ってみたことがありますが、まったく思い浮かびません。

その仕掛人ともいえるのが、植村氏の上司の北畠清泰氏(当時、大阪本社企画報道室長)にほかなりません、と題して2020-12-22 に発信した章である。
以下は前章の続きである。
スター記者に憧れていた?
櫻井 
同じ新聞記者という立場の阿比留さんにお聞きしたいのが、そもそも植村氏はなぜ捏造記事を書いてしまったのかということです。
阿比留 
本人のみぞ知る、ということを前提に話しますと…。 
植村氏の義母である梁順任氏は、慰安婦に対する賠償を日本政府に求めた活動家です。
身内の利益のために捏造記事を書いたのではないか、という見方もあります。しかし、彼はインタビューで「結婚前から慰安婦取材をしていた」と語っている。 
インタビューしていて感じたのは、彼は慰安婦問題自体にさほど興味がないのではないかということ。
あくまで憶測ですが、日本軍の罪を暴く記事を書けば朝日新聞の論調に合ってスクープの価値が上がり、社内で評価されるーそんな安易な発想で捏造に手を染めてしまったのではないか。
つまり、スター記者になりたかったのかもしれません。
櫻井 
1991年、朝日新聞は慰安婦問題で大キャンペーンを展開していました。
その仕掛人ともいえるのが、植村氏の上司の北畠清泰氏(当時、大阪本社企画報道室長)にほかなりません。
大型連載「女たちの太平洋戦争」を主導したのも彼です。
当初、日本軍の“悪事”を探そうと読者の体験談を集めましたが、ロシア兵や中国兵の蛮行を報告するものが多く、日本軍の悪い話がない。
そんなところに浮上したのが、日本軍による朝鮮人女性の連行という虚偽報道だったのではないでしょうか。
阿比留 
そう考えれば、植村氏は単なる駒だったのかもしれません。
現場の証言
櫻井 
朝日新聞OBの長谷川熈さんが『崩壊朝日新聞』(ワック)で、北畠氏について興味深いことを書いています。
北畠氏は大阪本社に配属される前、創刊問もない雑誌『アエラ』発行室にいたそうです。
長谷川さんの向かいのデスクに座っていた北畠氏が、電話で誰かにヒソヒソ話をしている。
その相手こそ、吉田清治氏だった。
北畠氏は社内で、「(吉田氏は)世間の圧力が強くなると日和ってしまう」「取材するこちらが常に手綱を強く持っていないといけない」といった趣旨のことも話していたそうです。
阿比留 
長谷川さんは、同期の松井やより氏についても興味深いエピソードを話されています。
櫻井 
松井氏はシンガポール・アジア総局員時代、マレーシアの山奥で旧日本軍が「民衆虐殺」を行ったという告発記事を書きました。
その数年後、長谷川さんは日本の対米開戦50周年にまつわる取材で、松井氏が告発記事を書くにあたって取材した足跡をたどることにした。
すると、ヌグリスンビラン州という場所で思いがけない話を聞くことになる。中年の華人が長谷川さんに、「ンンガポールにいるという日本の朝日新聞の女性の記者が、虐殺は日本軍がやったことにしておきなさい、かまわない、と言ったんです」と訴えた。
そして、女性記者は「マツイ」と名乗っていたそうです。
阿比留 
2014年、朝日新聞は吉田清治氏を取り上げた16本の記事を取り消しました。しかし、松井氏や植村氏の記事について正式に訂正していません。
今回の判決を重く受け止めて、自らの報道姿勢を改めてほしい。
淡い期待かもしれませんが、これが最後のチャンスかもしれません。
櫻井 
ここで変わらない限り、朝日新聞は国民の信頼を失い続け、さらに部数を減らすことになるでしょう。
かつて800万を超える部数を誇っていましたが、いまや500万部を切り、実売部数は350万程度ではないかとも耳にします。
先日も、創業以来の赤字を出したとニュースになっていました。
阿比留 
新聞販売の売上減少を、不動産部門で補っている状態ですね。
元財務官僚の高橋洋一さんが話していましたが、朝日新聞社の財務諸表だけ見せられたら、「不動産会社が片手間に関連事業をやっているんだな」という感想を抱くそうです(笑)。
朝日新聞と国益
阿比留 
朝日新聞の報道が日本の国益にとってプラスに働いたことがあるのかー振り返ってみたことがありますが、まったく思い浮かびません。
少なくとも平成に入ってから、KY珊瑚事件、慰安婦報道、吉田調書問題……日本を貶めることしかしていない。
櫻井 
戦前に遡れば、満洲事変をめぐっては政府を「弱腰」と批判し、軍部の戦線拡大を煽っていた。
対米開戦後も一貫して戦争を煽り続け、たとえば終戦の前日、8月14日の社説にさえ「1億の信念の凝り固まった火の玉を消すことはできない。敵の謀略が激しければ激しいほど、その報復の大きいことを知るべきのみである」と書かれている。
それが、GHQがやってくると180度論調を変えて、日本の弱体化を志向するようになった。
戦前・戦中・戦後と、何も国民のために仕事をしていないのです。
阿比留 
モリカケ報道では、毎日のように同じことを書き続けて読者の“反安倍政権”感情を煽っていた。
戦前、こんな風に新聞は軍国主義化を扇動したのかと思いました。
櫻井 
1994年、『読んでびっくり朝日新聞の太平洋戦争記事』(安田将三、石橋孝太郎著、リヨン社)なる本が出版されました。
戦時中の朝日新聞の記事や社説をまとめたものです。
しかし、版権が切れるのは記事が掲載されてから50年という理由で、朝日新聞側はこの本を事実上の発禁処分に追い込んだ。
翌年、太田出版から『朝日新聞の戦争責任』として改訂版が出版されましたが、朝日新聞にとって戦前・戦中は恥ずべき過去なのです。
「因縁」の地
阿比留 
私が慰安婦問題を取材していて「やられた」と思ったのは、1997年に『文藝春秋』に掲載された櫻井さんの記事です。
櫻井さんが元官房副長官の石原信雄氏に行ったインタビューをもとに、韓国で実施された慰安婦16人の聞き取りで裏付け調査は行われず、河野談話は文書証拠がないまま出されたことを明らかにしてくれました。
櫻井 
ずいぶん前の話ですね。
どう見ても河野談話はおかしいという出発点から、考え得る関係者全員にインタビューを申し込みました。
宮澤喜一氏には断られましたが、河野洋平氏や当時の韓国大使にもインタビューを行い、ついに石原氏から驚くべき証言を耳にしたのです。
阿比留 
社会部記者だった私は上司と一緒にこれを読み、慌てて石原氏の自宅に向かったのを覚えています。 
当時、慰安婦問題は完全に日本=悪という風潮が社会を覆っていた。
それに疑問を投げかけたのが、櫻井さんと西岡さんでした。
地道な言論活動を積み重ね、徐々に社会の認識が変わってきた経緯を眺めてきました。
結果として朝日は誤報を認め、さらに集大成として今回の完全勝訴があります。
櫻井 
隔世の感を禁じ得ません。
私は20年以上前、講演で「慰安婦は強制連行ではない」と発言して糾弾されました。
今ほど慰安婦のウソに気づいている人たちが少なかったので、当時はすさまじいバッシングの嵐に哂された。
仕事場には大量の抗議の手紙が届き、紙がなくなるまでFAXが送りつけられ、抗議の電話は鳴りやみませんでした。
なかでも目立っていたのが、北海道発の抗議です。
主として北海道教職員組合から、ほぼ同じ文言の抗議が届いたのを覚えています。
阿比留 
「因縁」の地で戦い、ついに真実が捏造に勝利した。
今回の判決は、大きな反撃の一歩となるでしょう。

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