姜尚中という存在――私の直感が正しかったと確信した日
テレビ朝日の「朝まで生テレビ」で姜尚中を初めて観た瞬間に感じた違和感と警戒心。その直感が、ウィキペディアで経歴を確認することで確信へと変わった。彼を重用し続けたテレビ朝日、TBS、NHKの異常性、そしてそれが日本の長期デフレと国力低下につながっていった「現実のスリラー」であった可能性を鋭く指摘する。
私の直感が正しかった事は。
慧眼の持ち主なら。
誰にでも分かるはずである。
2016-01-30。
姜尚中の日本名を。
確認しようとして。
ウィキペディアを検索した。
私が彼を初めて知ったのは。
実業家としての人生を歩んでいた私が。
仕事に没頭していた日々に。
たまたま観た。
テレビ朝日の。
「朝まで生テレビ」においてだったが。
観た瞬間に。
私は。
この男の怪しさを。
直感した事は。
既述の通り。
ウィキペディアで。
姜尚中を検索してみれば。
私の直感が正しかった事は。
慧眼の持ち主なら。
誰にでも分かるはずである。
同時に。
特に一昨年の8月までは。
この男を重宝して。
頻繁に報道番組のコメンテーターに登場させていた。
テレビ朝日。
TBS。
NHK。
(ここは。
呆れかえった事に。
美術番組の司会にまで起用していた)。
の異常さと。
日本と日本国民にとって。
彼等が。
どんな報道機関だったのかも。
分かるはずである。
現実社会の中で起きている。
これこそ。
本物のスリラーだったのだと。
私は確信している。
そういうスリラーが。
堂々と。
現実化していた事が。
今。
世界中の国が。
蛇蝎の如くに。
忌み嫌っている。
日本の長期デフレが。
創られた原因であり。
日本の国力と。
国際的な信用の低下の。
二十年超だったのである。
姜 尚中。
(カン サンジュン。
朝鮮語:강 상중。
英語:Kang Sang-jung。
1950年8月12日生)。
熊本県熊本市出身の。
政治学者。
東京大学名誉教授。
専門は。
政治学・政治思想史。
特に。
アジア地域主義論。
日本の帝国主義を対象とした。
ポストコロニアル理論研究。
在日韓国人二世。
通名は。
永野鉄男。
(ながの てつお)。
姜尚中の。
日本式の音読みは。
キョウ ショウチュウ。
1950年。
熊本市で。
在日韓国人二世として生まれる。
父は。
1916年。
旧朝鮮南部の。
慶尚南道昌原郡南山里。
(現・昌原市義昌区)。
生まれ。
1931年。
仕事を求めて。
自らの意思で。
日本へ渡った。
母は。
1923年。
旧朝鮮で生まれ。
1941年。
釜山近くの鎮海。
(現・昌原市鎮海区)。
から。
許嫁の父を訪ねるべく。
関釜連絡船で。
渡日した。
熊本県立済々黌高等学校を経て。
1974年。
早稲田大学政治経済学部卒業。
1979年。
早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。
西ドイツ。
エアランゲン大学文学部研究生留学。
(1979年―1981年)。
を経て。
明治学院大学講師。
国際基督教大学準教授。
1998年。
東京大学社会情報研究所助教授。
2004年。
東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授。
(所属。
社会情報研究所。
情報行動部門)。
2010年。
東京大学大学院情報学環教授。
兼。
現代韓国研究センター長。
当初。
日本名。
「永野鉄男」を名乗っていたが。
早稲田大学在学中に。
韓国文化研究会に参加し。
1972年の訪韓以来。
韓国名を使用する。
2011年に開催された。
句会の席上。
姜は。
自らの生い立ちについて。
次のように語っている。
「生まれは熊本で。
本名は永野鉄男です。
でも。
今から三十八年前。
二十二歳のときに。
思うところがあって。
姜尚中を名乗りました」。
(ウィキペディアより)。
この稿続く。
https://www.youtube.com/embed/1cstF9s2uyI