消えた韓国出入国スタンプとKCIA、朝日新聞の闇
吉田清治のパスポートに「韓国入出国スタンプが存在しない」という不可解な事実を起点に、KCIAと民潭、そして朝日新聞ソウル支局記者・清田治史の深い関与が浮かび上がる。特別室通過という異常なVIP待遇、土下座パフォーマンスの演出、慰安婦・強制連行捏造におけるKCIAと民潭の主導、そして朝日新聞が果たした中枢的役割までを実証的資料と証言で明らかにする決定的章。
日本からの出国と帰国のスタンプはあるのですが、韓国への入国、出国のスタンプが押されていない。
2017-01-21。
以下は前章の続きである。
▽国会質疑にも登場した吉田清治。
参照:第102回国会衆議院予算委員会第1分科会議録(PDF)(26頁に吉田登場)。
南鮮の諜報機関と民潭は今も昔も不可分の関係だ。
民潭系組織の会長職という履歴からKCIAの関与はある程度推測できたが、今回、大高さんの取材で「半島の組織」という自供が確認されたことは大きい。
そして、このKCIA関与は朝日新聞に飛び火する。
【特別待遇を知るソウル特派員】。
吉田雄兎の長男にとって、実父と外国諜報機関の関係は寝耳に水だったようだ。
豪語していた大金も実際、振り込まれなかった。
だが、父の存命中、ひどく不可解に感じた経験があった。
「韓国から戻ってきた後、父のパスポートを見てびっくりした記憶があります。
日本からの出国と帰国のスタンプはあるのですが、韓国への入国、出国のスタンプが押されていない」(前掲誌71頁)。
高級マンション転入から約半年後の昭和58年12月、吉田雄兎は捏造碑の落成式典で土下座パフォーマンスを演じるために南鮮を訪れた。
小説では短期滞在した朝鮮半島だが、実際は初めての半島入りだ。
▽南鮮の土下座パフォーマンス(捏造紙)。
「なぜかと聞いたら、韓国の空港につくやいなや韓国政府の人がやってきて特別室に案内され、そのままソウルの街に出たんだそうです」。
VIP待遇を超えたエージェント待遇。
問題は、この異例で異様な南鮮側の対応を間近で見て知っていた記者がいたことだ。
当時、朝日新聞ソウル支局にいた清田治史である。
清田治史は、吉田清治を本格デビューさせ、繰り返し紙面に登場させた慰安婦捏造事件の主犯だ。
初の南鮮入り前には前打ち記事を掲載させ、「ひと」欄でも紹介するなどゴリ押しした。
▽83年11月10日付朝日新聞「ひと」欄。
吉田の土下座パフォーマンスに密着し、清田治史は写真入り6段の大きな記事も書いた。
出迎えで空港に居たなら、消えた吉田に慌てただろうが、清田治史は吉田とKCIAの関係を知り尽くしていた。
それだけでは済まない。
KCIAと民潭の主導する慰安婦&強制連行捏造に直接関与していたのが、清田治史だ。
朝日新聞と南鮮政府の「対立激化~手打ち劇」についても昨年春のエントリで推理・追跡した。
参照:H27年4月17日『朝日新聞ソウル捏造特派員…KCIAと組んだ反日謀略』。
▽吉田関連捏造記事の執筆者・清田治史(file)。
吉田清治こと吉田雄兎は16年前に世を去った。
KCIAの工作活動について直接知る人物は限られる。
その中で清田治史は、慰安婦捏造事件の全貌を知る数少ない生き残りだ。
この稿続く。