文明のターンテーブルとしての登場 — 2010年7月、私が彼らに引導を渡すために現れた理由
NHK「ファミリー・ヒストリー」で紹介された三井金属の現場労働者の人生を起点に、肉体労働の現実を知らぬまま「強制労働」を捏造し、日本を貶め続ける中国共産党、康健、そしてそれに同調する朝日新聞や文化人、弁護士、野党政治家を厳しく断罪する。自らも過酷な土方仕事を経験してきた筆者は、日本の歴史的偉人たちの精神的「生まれ変わり」として、2010年7月に「文明のターンテーブル」を掲げて登場したと宣言する告発と決意の記録。
生まれ変わりとして彼らに引導を渡すために、遅すぎたけれども2010年7月に私は登場した。
2017-01-13
NHKの7時のニュースを観た後、そのままNHKを観ていたら、ファミリー・ヒストリーの時間になった。
今夜は、かつて巨人軍の左のエースだった宮本友和投手の父親の歴史だった。
故郷は佐賀県で代々漁師の家に生まれた。
高等小学校を出て、山口県下関に在る三井金属の亜鉛精錬所に臨時工として入社する。
配属された職場は1,200度の灼熱の場所だった。
それだけをみれば当然ながら過酷な職場だろう。
だが当然の事に、10から15分おきに、交替し、塩と水分をたっぷり補給しての仕事だ。
彼の父親は逝去している。
先輩や後輩が登場して彼の人となりを話していた。
真面目そのもので、いかにも日本人の塊のような父親は、高等小学校卒業にも拘わらず、管理職まで上り詰めた。
彼の後輩にあたる人物が、高等学校卒業で三井金属の社長になったと、当の本人が話していた場面も良かった。
中国よ、と言うよりも、正確には、共産党の一党独裁者たちよ。
康健よ。
戦前、中国人は苦力(クーリー)として世界中の国々で働いていた事を知らないわけではないだろう。
ウィキペディアでは、出稼ぎ先として日本の名前は出てこないが、何といっても人口大国の中国である。
しかもかつては本当に貧しかった国である。
例えば、上記の三井金属のような会社にも出稼ぎに来ていただろう。
それを貴方達は強制的に過酷な労働に従事させられたなどと平然と嘘をつく。
その貴方たちの、底知れぬ悪とまことしやかな嘘そのもの嘘を、
似非モラリストそのものであり、似非共産主義者として、文化大革命ですら礼賛していた朝日新聞社と、
これに同調して来た、大江健三郎などを筆頭にしたいわゆる文化人たちは、
皆、受験優等生で、肉体労働などに従事した事はないはずだ。
私は私の人生として、東京で過酷な様々な土方仕事に従事した事がある。
父親と袂を分かち、(偶然、3発のパンチを父親の顔面に放った。
父親は言った。
ここは俺の家だ。
お前が出て行け。
この言葉は、父親が私に言った言葉の中で、最も良い言葉だった)、
家を飛び出た私は、自分で稼いで生きてゆかなければならなかったからである。
大塚等の日雇い労務者あっせん所に日参して東京の様々な場所で土方仕事をした。
楽ではないのは当然だが、仕事時間は短いから、ある面では、大半はいい仕事であったとも言える。
短期間で大阪に向かうための旅費を稼ぐために従事した大日本印刷本社工場での深夜勤務の方がつらかったかもしれない。
どこの国のどんな場所にでも肉体労働は在るのである。
それを単なる受験優等生で東大に入りました、
マルクス主義経済学を学んで卒業しました。
弁護士になりました、などという手合いが、
強制連行されて過酷な労働に従事させられたなどと、
本当に幼稚園児以下のレベルの社会認識を振り回して、
底知れぬ悪とまことしやかな嘘の国の住民に同調、或いは彼らをけしかけて、
正義の味方の様な顔をして、大声で、
(大半は金切り声で…つまり女性弁護士が多い)、
あろうことか日本国と日本政府を攻撃する。
これ以上の悪者、これ以上の愚か者はいないのである。
彼らは法学部を出たから、現生では罰せられないと高を括って、
今日に至るも、弁護士でございます、
弁護士出身の野党政治家でございます、などと大きな顔をして日本政府を攻撃している。
朝日新聞の論説委員たちの論説で出来ている頭脳で、日本を貶め続けて来たのである。
だが、空海の、源信の、紀貫之の、夢想疎石の、織田信長の、
有史以来、日本が絶えず生んできた数々の偉人たちの、
生まれ変わりとして彼らに引導を渡すために、
遅すぎたけれども2010年7月に私は登場した。
それが文明のターンテーブルである。