日本国民と世界は、朝日新聞「慰安婦報道」の捏造の歴史を直視せよ
朝日新聞の慰安婦報道問題は、吉田清治の虚偽証言を長年にわたり事実として報道し続け、国内外に深刻な影響を与えた。1980年代から1990年代にかけての一連の報道、韓国での反証、慰安婦訴訟の多発、国際世論の形成までの経緯を通じて、この問題がいかに日本の名誉を損ない、国際関係を歪めたかを示す重要な記録である。
日本国民全員と世界中の人たちは目を見開いて読まなければならない。
2017-01-10
以下は朝日新聞の慰安婦報道問題(ウィキペディア)からである。
日本国民全員と世界中の人たちは目を見開いて読まなければならない。
ジョン・ダワーやアレクシス・ダデンたちとこれに同調しているいわゆる文化人たち、何故か反日思想を持っているというドイツ国民の半分の人たちも目を見開いて読まなければならない。
1982年9月2日朝日新聞大阪版22面において「朝鮮の女性 私も連行 元動員指揮者が証言 暴行加え無理やり 37年ぶり危機感で沈黙破る」の記事で、吉田の活動が初めて大手メディアで取り上げられる。
以降、1983年11月10日朝刊3面「ひと 吉田清治さん」など、吉田の活動がたびたび紹介される。
1984年11月2日には「私は元従軍慰安婦 韓国婦人の生きた道」と題し、「邦人巡査が強制連行21歳故国引き離される」と元慰安婦と主張する女性のインタビュー記事を掲載。
吉田は韓国やアメリカでも講演を行ない、海外メディアも報道した。
朝日新聞の慰安婦報道問題。
吉田清治と朝日新聞。
1977年に戦中に陸軍労務報告会下関支部動員部長であったと自称する吉田清治が『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)を刊行し、軍令で済州島で女性を強制連行して慰安婦にしたと「告白」した。
吉田は1982年に高木健一弁護士が主導した在樺コリアン訴訟でも済州島での朝鮮人奴隷狩りを証言したが、被告の日本政府代理人は反対尋問をしなかった。
朝日新聞は、1982年9月2日(大阪版)22面において「朝鮮の女性 私も連行 元動員指揮者が証言 暴行加え無理やり 37年ぶり危機感で沈黙破る」と報道した。
さらに吉田は1983年7月に済州島で200人の女性を拉致したと証言する『私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行』(三一書房)を出版。
同1983年12月に天安市に私費で謝罪碑をたてるために訪韓し、土下座した。
1983年11月10日朝日新聞朝刊3面「ひと」欄で吉田の謝罪碑活動を紹介した。
歴史家の家永三郎も吉田の著作を賞賛した。
1989年に吉田の著書が韓国で翻訳されると、済州新聞は1989年8月14日に許栄善記者による記事を掲載。
そこで済州島城山浦の85歳の女性の「250余の家しかないこの村で15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」という証言を紹介し、吉田の著作には「裏付けの証言がない」と批判した。
また同記事で済州島の郷土史家金奉玉も、数年の追跡調査で吉田証言が事実ではないことが判明したとし、吉田の本は「日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物」と批判した。
1990年6月6日の参議院予算委員会で、労働省清水伝雄が「徴用の対象として従軍慰安婦を連行したという事実はなく、民間の業者がそうした方々を軍とともに連れて歩いた」と発言。
これが韓国で「清水妄言」として騒ぎになり、尹貞玉が挺身隊対策協議会を結成。
海部首相へ公開書簡をおくった。
なお秦郁彦は、吉田証言が挺対協の起爆力となったとしている。
また元慰安婦の金福善は吉田証言をきっかけに名乗り出たと証言している。
その後も韓国、フィリピン、台湾などで、元慰安婦であったと名乗り出る女性が多数現れ、日本の弁護士らの呼びかけで、日本政府に謝罪と賠償を求める慰安婦訴訟が多数行われた。
この稿続く。