サンゴ事件に見る朝日的思考の本質 ― 捏造の有無を超えて残る「貶日」の犯罪性
サンゴ損傷事件の写真捏造を巡る調査報告を手がかりに、朝日新聞に内在する「日本人をことさらに貶める思考法」の構造を検証する。仮に写真が本物であったとしても変わらない、朝日的思考の根本的犯罪性と、その危険な精神構造を明らかにする論考。
日本人をことさらに貶めようとする、朝日的思考の根本的犯罪性は、完全に変わらないことである。
2016-01-17
以下は前章の続きである。
写真には本田カメラマンの原稿もついていたが、「4月18日、降幡は本田が書いた原稿に、ひどい落書きを見つけた時の、驚きや怒りの表現がないのが気になった。
写真からいっても、自然を汚す行為を告発する書き方がふさわしいと判断し、思い切って書き直した」とある(朝日新聞10月9日「サンゴ損傷事件の調査報告」)。
しかし、自然を破壊する行為を告発するなら、それを日本人の罪とする必要は全くない。
落書など世界中でいくらでもあることである。
では、このように日本人の犯罪と決めつけるのは、筆者である降幡記者の個性によるのであろうか。
そうではない。
それはまさに朝日的思考とでも呼ぶべきものだからである。
降幡昌行は朝日的思考をよく身に着けていて、本田カメラマンによる写真を見たとたんに、偏見と差別の朝日的思考が発動し、日本人全体を貶める威力を持った、凄まじい文章が生まれたのである。
写真が捏造であることが暴露されたが、そうでなければ、日本人は永久にサンゴ破壊の濡れ衣を、民族の汚名として、着せられ続けるところであった。
ただし、最も注意しなければならないことは、写真が捏造でなく本物であったとしても、日本人をことさらに貶めようとする、朝日的思考の根本的犯罪性は、完全に変わらないということである。
写真が捏造であったために、そのことばかりに目を奪われて、この朝日的思考の犯罪性が、かえって分かりにくくなっているということができる。
この稿続く。