「支那の夜」は蔑称ではなかった ― 朝日的刷り込みと、歌が結んだ国境なき一夜

「支那」という言葉を差別語のように刷り込んだのは戦後の朝日新聞である。しかし戦前・戦中を通じて、各民族は戦争下で相手国を蔑称的に呼ぶのが常であり、「支那」という呼称自体が蔑称でなかったことは名曲「支那の夜」が証明している。シンガポールの華僑との歌と交流の実体験を通じ、言葉と文化、戦争と洗脳の本質を静かに照らし出す証言。

そこで、「夜来香」、を歌った私の次に、彼は、「支那の夜」を歌った。
2016-01-17
「しかし、そんなことは、この世の中によくあることであり、特に戦争をやっている関係であるなら、相手の国名を蔑称的に呼ぶのは、むしろ自然と言えるだろう。」
支那と呼ぶことを差別用語の様にした朝日新聞を購読して来た私たちは、…私も40年以上購読していたから、当然ながら、…そのように刷り込まれていた。
だが私たちに執拗に、そう刷り込んだ朝日新聞こそ、戦争中は、鬼畜米英、と書いて国民を戦場に送り込んだ最大の機関だった。
つまり、酒井さんの冒頭の論説は全く正しいのである。
人間は誕生以来、戦争を繰り返して来たと言っても過言ではない。
全ての民族、すべての人間が、戦争中は、相手の国名を蔑称的に呼んできたのだし、そもそも支那という呼び名が蔑称ではなかったことは、私の持ち歌の一つである「支那の夜」という名曲の題名に成っていることでも明らかではないか。
あれほどの美しい曲=名曲が、相手に対する蔑称や蔑視の上に成り立っているわけはないのである。
これを書いていて気づいたのだが、最近、テレビから、全く、この曲が流れてこなかったのは、朝日新聞の、これまた悪影響だったわけだったのか。
既述のように、私は、シンガポールで、有数の企業家である華僑さんと、肝胆相照らす仲になった事が在る。
総量規制が行われ、不動産業界で少なからぬ経営者たちが自殺したような時代が到来した時、私は、朝日新聞を購読していた人間に相応しく、アジアでファンドを形成するために、シンガポールとタイに向かった。
当時シンガポールでベスト50に入っていた彼は、私の意図を、瞬時に察知してくれたのだろうが、彼を私に引き合わせた人物は、貿易会社の社員としてシンガポールと関わって成長し、奥さんもチャイニーズ・シンガポーリアンで、一男二女の子供を持っていた。
その華僑さんは、彼等だけが知っている、安くて絶品にして、なおかつ、店全体が正に支那そのものの、とても良い雰囲気の中華料理店で、私のために夢のようなディナーを整えてくれた。
件の女性は、戦後のシンガポールで一番だったホテルのオーナーでもあった、凛とした佇まいを持った聡明そのものの美人である。
皆が歌を歌いだした時、彼は、私が歌の上手な人間である事を彼女に告げた。
そこで、「夜来香」、を歌った私の次に、彼は、「支那の夜」を歌った。
彼女は、プッチーニのアリア、「ある晴れた日」、を英語で歌った。
最後は、彼女と私が、「ある晴れた日」を、彼女は英語で、私は日本語で、腕を組んで外に出ても歌い続けたほどの、これ以上ない夜だった。
この事に最も驚嘆していたのが、それまで彼女には会えなかった紹介者の彼だったのである。

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