「戦争は拒否しても避けられない」――核議論すら封殺する日本の危機的現実
月刊誌『正論』掲載、井上和彦氏の論考を通じて、戦争は一方的に拒否しても避けられない現実であること、憲法9条信仰の危うさ、核兵器議論すら封じる日本政治とメディアの異様な空気、北朝鮮核実験時の中川昭一氏への集中攻撃など、日本の安全保障議論がいかに歪められてきたかを告発する論考。
2017-02-24
戦争は相手があることで、こちらが一方的に拒否しても、相手が仕掛けてきたらどうしようもない。
今月号の月刊誌『正論』にも、
朝日や毎日を購読し、テレビ朝日やTBSの報道番組だけを観て生きている人たちには、
まったく分からない真実が満載されている。
それでいて料金は780円である。
一方、限りある紙面の半分ほどを、スポーツ紙と同様な広告で埋め尽くしている朝日は、
それでいながら料金は月額約5,000円である。
以下は、ジャーナリスト井上和彦氏が、
「安全保障の鍵は歴史認識にあり」と題して発表した、
正論新風賞受章記念論文からである。
前文略。
戦争は相手があることで、
こちらが一方的に拒否しても、
相手が仕掛けてきたらどうしようもない。
憲法で戦争放棄を謳えば戦争に巻き込まれないのなら、
思い切って憲法9条に、
「尖閣諸島は他国に奪われてはならない」
「弾道ミサイルは日本列島に着弾してはならない」
と追記してみてはいかがだろうか。
もとより国家は、不測の事態に備えなければならない。
ところが日本では、
あってはならない戦争や武力衝突を想定すること自体がご法度とされ、
そのような事態に対処するための法整備や議論は、
たちまちメディアの集中砲火を浴び、
国会では憲法違反だと追及され、
挙げ句の果てには責任者が吊るし上げを食うことになる。
2006年、北朝鮮が核実験を強行したとき、
自民党の中川昭一政調会長(当時)が、
現状を鑑みた率直な「核」の議論を展開すると、
なんと野党はもとより、
自民党内からも非難や自粛を求める声が噴出した。
このとき中川氏は、
これを「非核五原則」と皮肉って応酬した。
これは、従来の非核三原則に、
「言わせず」と「考えてもいけない」を加えた痛烈な風刺であり、
まさに正鵠を射たものだった。
まるで、核について議論をしただけで、
本当に核戦争が起きるとでも言いたげな妄想が、
国会議員たちを蝕んでいたのである。
だが日本は、
世界で最初の被爆国であり、
中国・北朝鮮・ロシアの核ミサイルの照準を合わせられている。
その一方で、
核超大国アメリカの強大な核戦力の庇護の下にもある。
にもかかわらず、
なぜ政治家たちは核兵器に関する議論を、
ここまで頑なに拒み続けるのだろうか。
そもそも核議論の目的は、
どのようにして三回目の核攻撃を防ぎ、
日本の平和を守り続けるか、
という一点に尽きるはずである。
だが国会議員やメディアは、
国民の命を守ることよりも、
「核戦争反対」「核兵器反対」と唱えることの方が重要だと、
本気で考えているように思えてならない。
この稿、続く。