―私が死んでもレシピは残る― 小林カツ代が遺した「家庭料理という文化遺産」

日曜日の産経新聞読書欄で紹介された『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』は、家庭料理を文化として昇華させた料理研究家・小林カツ代の人生を描く。家庭料理をプロの領域へ押し上げた革新性、旺盛な好奇心、行動力、そして死後もなお受け継がれるレシピの力を伝える必読の評である。

2017-02-21
日曜日、私は京都に向かう列車の中に居た。
隣のコンパートメントに座っていたご老人が産経新聞を読んでいた。
私もご同慶の至りと産経新聞を広げた。
今の産経新聞は、朝日新聞などの論説委員たちが歪んだ思想ゆえに中国や韓国の意のままに操縦される新聞社に成っている様な態様で、歴史までも捏造報道して国際社会において日本国と日本国民の信用と名誉を言語道断に貶め続けて来た態様、似非モラリズムと似非共産主義を、東大を筆頭にした大学にまん延させ、日本の国力を低下させ、日本人の精神と伝統も知らず、幼稚園児以下の愚かな思想を振り回す「いわゆる」で形容される一団を作って来た態様、
それらの異様さに気づき、彼らとは明確に一線を引くと同時に、彼らの嘘を検証し続けて来た結果、今の産経新聞には神の祝福が宿り出しているようである。
とにかく、事実を、あくなき真実の探求と報道に務め、世界最高の新聞社…事実だけを伝え、真実だけを追求する新聞社として、世界をリードできるように頑張ってほしい。
以下は日曜日の産経新聞読書欄からである。
この書評では、私は最終章のフレーズが私の琴線に触れた。
それは私の友人たちや、具眼の士である読者の人たちには、黙って分かるだろう。
題字以外の文中強調は私。
私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝
中原一歩著(文芸春秋・1500円十税)
評・東えりか(書評家、HONZ副代表)
「料理の鉄人」が辿った人生。
かつて「料理の鉄人」という人気テレビ番組があったのを覚えているだろうか。
料亭やレストランで腕を振るうプロの料理人同士が対決するこの番組で小林カツ代は家庭料理のプロとして、中華の鉄人・陳建一に勝利した。
この時代はまだ、母親が作るような家庭料理はプロの作るものとは別のジャンルだと考えられていたのに、だ。
本書は、普通の主婦から初めてプロの料理研究家となった小林カツ代という女性の一生を詳細に辿る。
大阪の製菓材料の卸問屋の末っ子として生まれ、料理上手の母の元に育つ。
だが結婚するまで台所に立ったことはなく、新婚時代、味噌汁に出汁を引かず鍋いっぱいにわかめをふくれあがらせたという。
だが母の教えで大阪・ミナミの台所で食材を調達していた実家の記憶がよみがえる。
味噌汁、サバの味噌煮と腕が上がるに連れ料理に夢中になり、カツ代の一生の行動原理が形成されていった。
それは「興味を持つ。
知識を得る。
行動に移す。
世界が広がる」というもの。
彼女の好奇心は並外れていた。
いつも見ていたテレビのワイドショーヘ「生活感のある楽しい料理コーナーを作ってほしい」と投稿し、実際に自分が出るはめになっている。
だが、人生どこで変わるかわからない。
この番組出演が、料理研究家・小林カツ代を誕生させたのだから。
大阪の有名料理店を食べ歩き、その味を再現するという無茶な企画も、カツ代によって実現した。
プロの料理人の微妙な味付けの極意を、家庭でも作れるようにアレンジしたのは画期的なことだった。
本書では明るく気風のいいカツ代に隠された怒りっぽくて自分の健康管理に無頓着な短所も遠慮なく披露している。
親しい友人だったという著者が見たカツ代の姿だ。
クモ膜下出血で倒れてからの9年は厳しい闘病生活だったようだ。
だが亡くなって2年、ネットでぱっとレシピが検索できる今でも「カツ代の肉じゃが」は人気メニューだ。
―私が死んでもレシピは残るー美味しい料理は次世代に継承されていく。


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