南京を語った“立派な日本のジャーナリスト”とは誰なのか——本多勝一・筑紫哲也・久米宏の名が示すもの

南京で“虐殺”を語るガイドが挙げた日本のジャーナリストとは、本多勝一・筑紫哲也・久米宏であった。高山正之は、彼らが中国側の主張を検証もせず、日本国内に流布させてきた構造的問題を指摘する。石川達三の記録や当時の『朝日新聞』に残る平穏な南京の様子と、中国側の荒唐無稽な証言のギャップを明らかにし、日本の報道界が犯してきた“未検証の罪”を問う重要章。

2016-01-06
以下は前章の続きである。
文中強調は私。
当時の南京には市民は20万人もいなかった。
日本軍が入城後は平静に戻り、道端で支那人の床屋に髭をあたってもらっている日本軍兵士の写真などが当時の『朝日新聞』にも載っている。
中国が主張する毎日7000人ずつ「6週間休みなく殺し続けた虐殺」のそのさなかに報道班員としてやってきた作家の石川達三はもちろん、そんな虐殺を見てもいない。
その後に執筆した『武漢作戦』では、そのときの南京の風景をベースにしたこんな下りもある。
野口伍長が一等兵に声をかける。
「ちんばをひいとるな。全快したのか」
「もう二、三日すれば全快します」
「今までどこの病院にいたのだ」
「南京にいました」
「南京は賑やかになっとるか」
「はあ、もうカフェでも何でもあります。ネオンサインがついております」
その南京でガイドについたのが中国共産党の下部機関、南京大虐殺研究会のメンバー・戴国偉で、彼はその目で見てきたように日本軍の「虐殺の模様」を日本語で語り続けた。
話している彼もその荒唐無稽さに気づいているようで、その辺を指摘すると、彼は唖然とした顔つきでこちらを見た。
それはあの米国人の表情と同じだった。
戴某は開き直る。
「私はここを訪れた日本の立派なジャーナリストのガイドも務めました。みんな納得しています。疑う声はないのです」
どんな連中かと聞くと、「朝日新聞の本多勝一」に「筑紫哲也」に「久米宏」……。
「日本人の観光客にも話します。話をすると日本人はみな申し訳ないといいます、泣いて謝る人もいます」
米国人の言葉に見せる日本人の反応とこれもそっくりだ。
ただ問題は立派かどうかはともかく本多にしろ、筑紫や久米にしろ、少なくともジャーナリストの端くれにある者が中国人の言い分を検証もしない、調査もしないで、あたかも真実のようにそんな虚をメディアに流してきたことだ。
この稿続く。

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