三年前の八月以降、私は初めてノーマンの実像を知り出した

かつて好意的に受け止められていたハーバート・ノーマン像が、三年前の八月以降、大きく崩れた。
朝日新聞の偏向によって読者から遮断されてきた平川祐弘氏の論考を通じて、日本の知的空間がいかに歪められてきたか、そして真の碩学とは何かを問い直す論考。

三年前の八月以降に、私は初めてノーマンの実像を知り出した。
2017-02-09
図書館が発行していたLIBRALIAで、安藤昌益についてハーバート・ノーマンが書いた本の読書感想文を、私たちの同級生が見事に書いていた。
これを読んだ同級生たちは、私と同様に、ノーマンについて好意的な印象を持っていたはずである。
三年前の八月以降に、私は初めてノーマンの実像を知り出した。
私は、私が永遠に愛する同級生諸君たちにこそ、三月号の月刊誌HANADAに掲載されている平川祐弘氏の連載論文の購読を勧める。
三年前の八月まで、朝日新聞の購読者だった私は、平川氏のことを全く知らなかった。
朝日新聞の偏向報道の度が過ぎていることは、この事実だけでも一目瞭然である。
何という酷い新聞であることかと、心底から怒りを覚える。
これほどの碩学、日本を代表する真の碩学の一人と言っても全く過言ではない学者を、自分たちの歪んだ思想に合わないという理由だけで、読者から完全に遮断してきたそのやり方は、共産党の一党独裁者やナチストたちと全く変わらない態様である。
今や、まともな学者で、朝日に論文を掲載したいなどと考えている者は皆無と言っても過言ではないだろう。
だからこそ、今、朝日に登場するのは、高橋源一郎や小熊英二などという、例えば平川祐弘氏の爪の垢にも及ばない類の人間たちだけなのである。
彼らから私たちが得るものは何もない。
彼らの幼稚な似非モラリズムに興ざめするのが関の山なのである。
一方で、平川祐弘氏の論文を読めば、毎回、目から鱗が落ちるのである。
この稿続く。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください