ちなみに3年後に3か国は清国に対して、この代償を要求。 ロシアは旅順・大連を、ドイツは膠州湾を、フランスは広州湾を租借した。
下関条約の主な内容…一、朝鮮の独立を認め、自主独立を妨げる朝鮮から清国への貢、献上、典礼等を永遠に廃止する、と題して、2021-05-02にgooに発信した章が検索妨害等という犯罪行為を受けていたので再発信する。
ニューヨーク・タイムズ元東京支局長、ヘンリー・ストークスさんの著作である、世界は「中国に対峙できる日本」を望んでいる、は、戦前、戦中、戦後の世界を知る上で日本国民のみならず世界中の人たちが必読である。
著者の「日本人への遺言」は重く尊い。
今のコロナ禍第4波は、愈々、武漢ウイルスは生物兵器だったと私は確信しているのだが、この件については後述する。
緊急事態宣言発令中のGW、この本を購読する事は、これぞ不幸中の幸いとなろう。
日本国民は今すぐに最寄りの書店に購読に向かった方が良い。
とても読みやすいが、真実に満ちた本なのだから。
p167―p169
三国干渉という白人列強の侵略行為
明治維新後、日本は欧米列強の脅威にさらされながら、富国強兵に力を注いでいった。
それこそ、日本の独立を守っていくための唯一の道だったからだ。
その一方で、江戸末期から明治初年にかけて結ばれた、白人列強との不平等条約を改正することが喫緊の課題となっていった。
例えば、江戸幕府が1858(安政5)年にアメリカ、ロシア、オランダ、イギリス、フランスとの間で結んでいた通商条約(安政5ヵ国条約)は、
「一、外国に領事裁判権を認め、外国人犯罪に日本の法律や裁判が適用されない(治外法権)」、
「二、日本に関税自主権がない」、
「三、無条件かつ片務的な最恵国待遇条款を承認していた」など日本に極めて不利なものとなっていた。
明治政府は、これを解消するために膨大なエネルギーを費やすこととなったが、欧米列強が、自分たちが獲得した有利な条約をおいそれと手放すはずもなかった。
そんな中で起きたのが日清戦争だった。
世界はアジアの片隅にある新興国にすぎない日本がアジアの大国・清国に勝利するなど想像だにしていなかった。
しかし、結果は陸海とも日本の連戦連勝だった。
日本と清国は、1985(明治28)年3月20日に停戦、すぐに講和のための会議を始めた。
4月17日の下関の春帆楼での講和会議は、日本側は首相の伊藤博文、外相の陸奥宗光、清国側は李鴻章らが出席した。
そして下関条約が締結され、戦争は終結した。
下関条約の主な内容は、次の通りだった。
一、朝鮮の独立を認め、自主独立を妨げる朝鮮から清国への貢、献上、典礼等を永遠に廃止する。
二、遼東半島、台湾、澎湖諸島を日本に譲渡する。
三、清国は日本に三億両(テール)を支払う。
四、清国領内で列国と同等の特権を日本に認める。
この日清戦争の勝利は日本人を元気づけ、欧米列強との互角な関係を求め、不平等条約の完全改正にも取り組み始めた。
しかし、そこで日本の勝利を横取りしたのが白人列強だった。
ロシアがフランス、ドイツと結託し日本に圧力を加えてきた。
1895(明治28)年4月23日、3国の公使が日本に対し「遼東半島を清国に返還したほうがいい」と書簡を送ってきた、いわゆる三国干渉である。
国力の劣る日本は、白人列強の3国を相手に戦争をして勝つことなどできない。
勧告を受諾するしかなかった。
「臥薪嘗胆」……日本は、あらゆる苦難を耐え忍んで、この屈辱を晴らす決意をした。
ちなみに3年後に3か国は清国に対して、この代償を要求。
ロシアは旅順・大連を、ドイツは膠州湾を、フランスは広州湾を租借した。
ちなみにイギリスは、威海衛と九龍半島を租借している。
日本はこの三国干渉を通して、ロシアも含む白人列強がアジアを蹂躙する脅威を、まざまざと感じたことだろう。