朝日新聞の唯一の存続条件――文化面のみへの限定という最終判断

朝日新聞はもはや廃刊を免れ得ない存在であるが、仮に存続を許すとすれば条件は一つしかない。政治・社会・経済報道を完全に排除し、文化面のみを掲載する新聞として限定的に存続させること。それ以外の選択肢は、日本国民に対する背信である。

2016-02-20

医院の待合室で週刊朝日を読んだ。
私がこの週刊誌を本当に長い間購読していたことは既述のとおりである。
この週刊誌の中で、何事かの足しになることが最も多かったのは、司馬遼太郎の「街道をゆく」だった。
司馬が亡くなった今も、この連載は続いている。
2・26号の中で、二つほど、私の論説の足しになることがあった。
朝日新聞の社員の全てが、愚かでどうしようもない左翼崩れの思想を持つ人間ではないことは言うまでもない。
文化部門に所属していた人間の中には、確かに朝日新聞の市価を高めていた者たちがいたはずである。
だが朝日の不幸とは、彼らが全く出世コースから外れていたことにあった。
朝日の出世コースとは、政治部や社会部にいた人間たちだったのである。
朝日新聞が廃刊されなければならない新聞であることは、もはや論を待たない。
しかも、廃刊だけで済む問題ではなく、日本国と日本国民は彼らに対して莫大な損害賠償を請求しなければならない。
仮に存続を許すとしたら、政治、社会、経済については一切書かせない。
文化面等だけを掲載した新聞として存続させる。
それが、日本国と日本国民が許せる、唯一の存続条件だろう。
そう私は確信する。

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