根無し草では世界で通用しない…自国に一本の足を、世界にもう一本の足をおろしてこそ、有用有為の人材たりうる。 

以下は8月23日、産経新聞、正論欄に、根無し草では世界で通用しない、と題して掲載された平川祐弘東京大学名誉教授の論文からである。
終わり良ければすべて良し 
開催賛成・反対で国論が当初は二分された2020東京オリンピック競技大会だが、めでたく終わった。
盛り上がった熱戦が過ぎると、オリンピックをやって良かった、との感想が湧く。  
一部の人が「五輪中止」を唱えたのは、菅内閣の評判を落とさんがための空騒ぎで、せっかくの祭典に水をさしたのが憎い。
反対以外に建設的な対案がなかったのも淋しい。
「小学生はコロナに感染した例はない。観客席は子供たちに無料開放しろ」とでも提案すればよかった。 
そんなことを言うのは、私にとって一番印象深いオリンピックは、子供の時のベルリン五輪だからだ。
一九三六年、入りたての幼稚園でまず日の丸、ついでオリンピックの旗の絵を描かされた。
左から青・黄・黒・緑・赤の順で、五つの輪を組む。
小学校の体育の先生は、べルリン・オリンピック視察団の一人で、それだけで後光がさした。 
だが特に思い出が深いのは記録映画『民族の祭典』が数年後封切られたからだ。
日独が同盟を結ぼうとしていた時期だから、日本人の活躍を特に際立たせたかと思われるほど、日本選手の奮闘が実に見事に記録されていた。
女性監督、レニ・リーフェンシュタールは戦後、ナチスの宣伝映画を作ったと非難されたが、私はそうは思わない。
姉と一緒に見た映画にいきなり飛び出したのは、人種主義者、ヒトラーが嫌う黒人選手だったからだ。
そのオーエンズが100㍍も走り幅跳びも一着の米国。
だが三段跳びは田島直人が勝つ。1万㍍競走で小柄な村社講平が、背の高いフィンランド選手たちの前を力走、結局抜かれたが、四着。
マラソンも孫基禎選手と南昇龍選手が一着と三着、「日本が勝った」と子供心に喜んだ。
半島出身の2人は帰国するや朝鮮でも英雄視されたに相違ない、が晩年はどうだったか。
胸に日の丸をつけて走った「親日派」と心ない非難を浴びたのであるまいか。 
東京オリンピック観戦記
印象に深く刻まれたのは西田修平、大江季雄が米国選手と棒高跳びで競い合ったシーンだ。
高さを上げるが、延々と決着がつかない。あたりは次第に暗くなる。死闘は続く。ついに米国選手が一位、西田、大江が二、三位で結着する。
そんな名前は記憶されたから、日米開戦冒頭、ルソン島敵前上陸の戦死者を報じる新聞に大江の名が出ていたことも憶えている。 
上級生のいじめの巣窟だった中学の運動部が敗戦で参加が必修から選択に変わった時は、ほっとした。
そんな文弱の私は、前の東京も他の大会も、関心が薄く、一九六四年、女子バレー優勝の際も「鬼の大松」監督が称揚されると、その猛訓練が、戦時中の新兵のしごきが連想され、嫌だった。 
そんな私だから選手名を憶えたのはベルリン大会だけ、そして詳しく観戦したのは、実は今回の東京大会が初めて、不要不急の外出は控え、テレビで驚いた。 
女子ソフトボールで三塁手がはじいた飛球を背後にまわったショートがキャッチし、二塁から飛び出した米国選手を刺した。
ダブルプレーの奇跡に、思わず「万歳」と叫んだ。 
連日のテレビの合間に牛村圭『ストックホルムの旭日』(中公選書)も読んだ。
五輪競技参加で文明国の仲間入りを願った明治以来の先輩の努力を知り、今まで運動部を野蛮と見下してきたことをいささか恥じた。 
すばらしい卓球男女混合に見とれる。
一旦競技が始まるや、以前は社説で反五輪を説いた大新聞までが、日本の勝利を「金メダル史上最多」と大々的に報じる。
大きな写真に日の丸をひろげて躍り上る選手が写る。だがこんな調子でナショナリズムを煽っていいのか。
五輪競技は国家主義か、国際主義ではないのか、それとも無国籍であるべきか。 
五輪は国家主義か国際主義か 
教師の娘はオリンピックは平和の祭典と教科書通りの答をいい、大学生の孫は五輪は民族間のナショナリズムを増長させるという。 
なるほど「民族の祭典」は無国籍の行事ではない。競技は、国を代表して選手が闘う限り、国家主義を強める。
古風な「君が代」が演奏されると心の古層が動くが、私はそんな素直な気持ちを肯定する。
そのナショナリズムがあればこそインターナショナリズムも成立する。
自国に一本の足を、世界にもう一本の足をおろしてこそ、有用有為の人材たりうる。 
だが日本のオリンピック関係者には、自国を否定し、自国民を批判すれば、それで国際的に通用する、と勘違いする似非国際主義者がいるらしい。
「『国民は』という表現は完全な時代遅れだから排除する、日本語は使わず英語しか使わない」 
そんなコンセプトを口にする根無し草人間が、開閉会式を統括するチームの責任者なのだそうだ。
そんな人間は国内でも世界でも通用するわけがない。失格だ。
オリンピックに携わる者としてもレッドカードだ。     
(ひらかわ すけひろ)

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