ただし、この時の本田の非難はまた一方的な誤解に基づくものであり、最終的に本田は非を認め

本田雅和をめぐる日本共産党との関係、小林よしのりとの論争と謝罪、朝日新聞社内での異動経緯、人権擁護法案をめぐる動向を整理し、言論・組織・政治運動の交錯を具体的に示す。

2017-03-21

ただし、この時の本田の非難はまた一方的な誤解に基づくものであり、最終的に本田は非を認め「申し分けありませんでした。よく勉強してから人を非難するようにします」と小林に謝罪した。
以下は前章の続きである。

日本共産党との関係
本田は2002年、反核運動をめぐる日本共産党陣営(原水協)と社民党陣営(原水禁)の分裂について、その原因を日本共産党の側に求める報道をおこない、日本共産党から「いやしくも新聞記者として取材し、記事を書こうとするなら、色眼鏡でなく、公平な目でみることが、最低限の責任です」と批判された。

小林よしのりとの関係
小林よしのりの皇太子徳仁親王の成婚を取り上げた漫画が自主規制で不採用にされたことについて「会見を開いてキチンと説明すべき」と本田は批判した。
ただし、この時の本田の非難はまた一方的な誤解に基づくものであり、最終的に本田は非を認め「申し分けありませんでした。よく勉強してから人を非難するようにします」と小林に謝罪した。

異動
2006年4月1日付で、朝日新聞の会員制読者サービス部門「アスパラクラブ」の運営センター員に異動。

人権擁護法案成立に向けての動向
「アスパラクラブ」への異動が決定した後、2006年3月24日には部落解放同盟中央本部主宰の「人権マスコミ懇話会」に会員の一人として出席。
部落解放同盟書記次長谷元昭信の呼びかけに応じ、朝日新聞社専務坂東愛彦ともども人権擁護法案の成立に向けて協力しているとされる。

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