明らかに組織的なテロであったことを物語る— 尹奉吉爆殺事件85年と中韓「抗日」政治利用の現在 —

1932年の上海天長節爆弾事件は、個人の「義挙」ではなく、金九を中心とする組織的テロであった。尹奉吉事件85周年を迎える中、中韓による歴史の政治利用、反日宣伝の変質、THAAD配備を巡る対立など、現代東アジア政治の深層を検証する。

2017-03-20
明らかに組織的なテロであったことを物語る。
以下は今日の産経新聞8ページからである。
見出し以外の文中強調は私。
85年前のテロたたえる「式典」の有無。
上海支局長 川崎真澄。
現在は韓国の国旗となっている「太極旗」を背に、左手に手榴弾、右手に拳銃を握って、鋭い目つきで正面をにらみつける。
尹奉吉という朝鮮半島出身の男の写真だ。
上海市内の魯迅公園(旧虹口公園)に置かれたこの男の記念館のスクリーンに大きく映し出され、中国語で「義士」とたたえられた。
戦前、10万人近い日本人が暮らしていた上海。
尹奉吉は1932(昭和7)年4月29日に虹口公園で行われた天皇誕生日(天長節)式典に侵入し、爆弾を投擲して上海派遣軍司令官として出席していた白川義則陸軍大将ら要人2人を殺害した「上海天長節爆弾事件」のテロ実行犯だ。
後に外相となった重光葵が右足を失う重傷を負うなど、多数の死傷者を出した。
この男は韓国で、伊藤博文元首相を1909年10月に暗殺した安重根にも次ぐ「英雄」とされる。
今年は尹奉吉の事件から85周年を迎える。
入場料が15元(約250円)の記念館で昨年12月から、反日的な言論で知られる韓国の女優ソン・ヘギョ氏らが寄贈したハングルと中国語で書かれた尹奉吉の紹介パンフレット配布が始まった。
その説明によると、尹奉吉は事件現場で逮捕されて「残虐な拷問」を日本軍から受けた後、1932年5月25日に軍法会議で死刑が言い渡され金沢に送られ、同年12月19日に銃殺された。
「壮烈に身命をささげた」となっている。
24歳だった。
尹奉吉に爆殺テロを命じた人物として記念館では、日本による朝鮮半島統治に反発して亡命し、当時の上海フランス租界に「大韓民国臨時政府」を設置したメンバーの一人である金九(1876〜1949年)までたたえている。
強盗殺人で収監されたり、数々の暗殺にも関与した金九。
ヒットマンとなる尹奉吉を事件当日の朝食に招き、お互いの懐中時計を交換し、弁当箱と水筒に仕込んだ爆弾を手渡した。
明らかに組織的なテロであったことを物語る。
その後、大韓民国臨時政府の主席を務めた金九だったが、戦後の韓国で初代大統領となった李承晩(1875〜1965年)と対立。
1949年6月に皮肉にも暗殺され、命を落とした。
時代は変わって今年2月、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の異母兄、金正男氏がマレーシアのクアラルンプールで殺害された事件と照らし合わせると、朝鮮半島の政治が今もなお血塗られた歴史の深い闇の中にあるとの印象を受ける。
問題は尹奉吉のテロから85周年となる今年、上海で記念式典が行われるかどうか。
朴槿恵氏が大統領として訪中し、「抗日戦争勝利70年記念行事」に参加するなど、中韓が蜜月関係にあった2015年とは政治の風景が決定的に異なっているからだ。
昨年は中韓共同式典が4月29日に行われている。
尹奉吉の記念館は、抗日という歴史戦で「中韓共闘」の姿勢を中国側からも示す宣伝拠点だったが、その関係が根底から揺らいでいる。
習指導部は米軍による最新鋭迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD)」の韓国配備が中国にも脅威になるとして反発。
韓国と米国に対する政治的圧力を強めている。
韓国製品の不買運動のみならず、職場や学校、果ては幼稚園まで韓国を非難する集会が動員され、反韓シュプレヒコールの動画がネット上にあふれている。
中韓共闘の反日活動が歓迎される雰囲気はいまの中国にはない。
一方で中国は、韓国の憲法裁判所が今月10日に罷免を決めた朴氏の失職に伴う60日以内の大統領選を受け、5月に誕生する予定の新政権が、THAAD問題や慰安婦問題解決に向けた日韓合意にどう対応するかを注意深く観察している。
上海で85周年を「祝う」式典の有無は韓国新政権の出方次第。
「歴史」のご都合主義的な政治利用はこの先も続く。

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