戦前東大左翼運動の背後にあった中国共産党の対日工作
戦前の東京帝国大学が左翼運動の拠点となった背景には、中国共産党日本特別支部、中国共産党、そしてコミンテルンによる組織的な対日工作が存在していた。占領政策だけでは説明できない、戦前から続く日本歪曲の構造を明らかにする論考。
2017-04-20
東大のこうした活動の背後に、中国共産党日本特別支部-中国共産党-コミンテルンの対日工作があったと
以下は前章の続きである。
資本主義、自由主義陣営の政策の失敗を受け、世界的に社会主義賛美の風潮が蔓延し、エリートたちが社会主義者になる中で、日本の帝国大学の多くは左翼の拠点となった。
後に『週刊朝日』編集長として60年安保で反米闘争を煽った扇谷正造は、戦前の東京帝国大学に在学していた。
彼は『私たちの瀧川事件』(新潮社)の中で、当時の大学の様子についてこう書いている。
《昭和7年(1932)の春の東大は、一時的な左翼運動のたかまりを見せた時期であった。満州事変は前年の夏ぼっ発し、国内は軍国主義に塗りこめられつつあったが、東大はリベラリズムの牙城として厳としており、…学内では毎日のようにデモが行われた。
31番教室から、そのたび3本の垂れ幕がさげられた。
《一、天皇制を打倒せよ 一、帝国主義的戦争絶対反対 一、授業料を値下げせよ》
これが戦前の東大の実態だ。
当然のことながら、東大のこうした活動の背後に、中国共産党日本特別支部-中国共産党-コミンテルンの対日工作があったとみるべきだろう。
よくリベラル系の学者やマスコミが、「戦前は天皇制賛美で、天皇を批判したら逮捕されるような言論弾圧がまかり通っていた」と言うが、ことアカデミズムに関する限り、実態は逆だったのだ。
対日占領政策だけを見ていては、戦後の日本の歪みは理解できない。
国の守りは軍事だけではない。
外交や安全保障など対外関係については、情報の蓄積が重要だ。
中国共産党の戦略や対日工作の歴史を知らずに、中国を幾ら批判しようが、事態は改善しない。
相手がどのような戦略でどういう工作を仕掛けてくるのかを正確に理解しなければ国益を守りようがないのだ。
アメリカでは冷戦が終わった直後の1992年から連邦議会が国家プロジェクトとして冷戦史研究を開始している。
アメリカの対外情報機関であるCIAも『中国人の交渉術』(産経新聞外信部訳で文藝春秋から出ている)という本を出して、中国共産党がいかなる工作を仕掛けてきたのか、詳細な分析をしている。
ところが、これほどまでに中国共産党から工作を受けていながら、なぜ日本政府や国会は、中国共産党の対日工作についての研究に取り組まないのだろうか。
戦後の日本をおかしくしたのは占領政策もあるが、それと同じくらい戦前からの中国共産党の対日工作の悪影響がある。
対日占領政策だけを見ていては、戦後の日本の歪みは理解できない。
アメリカでは、インテリジェンス関係者や保守派の中に、ルーズベルト民主党政権時代の米中関係について全面的に見直そうとする動きがある。
こうした動きと連動して中国共産党の対外工作を研究していきたいものである。