日本ほど国籍差別や人種差別がない国も珍しい。あるとすれば、男女差別くらいでしょうか。日頃から、日本は女性優位社会だと痛感しています(笑)

以下は発売中の月刊誌WiLLに、私が日本人になった理由、と題して掲載されている岩本賢一氏の論文からである。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。
悪夢の民主党政権時代に抱いた危機感、覚醒したアイデンティティ
見出し以外の文中強調は私。
豊かな暮らしを求めて
私は元在日四世です。
曾祖父が日本にやってきたのは、日韓併合から間もない1917年―。
当時、日本は「大正バブル」の只中にありました。
第一次大戦の主戦場となった欧州で、工業製品の生産が一時的にストップ。
それを受けて、日本では重化学工業を中心に新たな企業が次々に生まれました。
海運・造船分野で海外需要が急増したこともあり、日本企業は莫大な利益を得たのです。
空前の好景気に沸く時代を象徴したのが「成金」。
「(玄関が)暗くてお靴が見えないわ」「(百円札に火を灯して)どうだ明るくなったろう」というやりとりが描かれた風刺画は、教科書で目にしたことがあるはずです。
日韓併合について、「日本が武力で韓国を脅した」と説明する教科書があります。
したがって韓国人にとっては「屈辱」、日本人にとっては「反省すべき歴史」とみなされている。
しかし、本当にそうだったのか。
豊かな生活を求めて、半島から大勢の人たちが日本に渡ったことが事実であり、私の曾祖父もそのなかに含まれていました。
第一次大戦中に曾祖父が日本にやってきたことを知ったのは、実は最近のこと。
在日四世として日本で生まれ育った私は2013年、日本に帰化しました。
帰化に必要な書類を集めるなかで、それまで漠然としか知らなかった自分のルーツに触れたのです。
日本人のアイデンティティ
日本で生まれ育った私には、自分が韓国人であるという意識はありませんでした。
韓国語もまったく話せなければハングルも読めない。
そもそも韓国に行ったことすらないので、韓国人に「同胞」扱いされてもピンときません。
他方で、国籍を理由にイジメや差別を受けることもなかった。
「リベラル」を自称する人たちは、「在日=差別されている」という先入観で話を進めがちです。
私が「在日だからといって差別されたことはない」と言っても、「でも、少しくらいはあったでしょう?」と無理に引き出そうとする。
しかし、日本ほど国籍差別や人種差別がない国も珍しい。
あるとすれば、男女差別くらいでしょうか。
日頃から、日本は女性優位社会だと痛感しています(笑)。
韓国籍にさほど不便は感じていなかったものの、私はなぜ日本人になろうと思ったのか-。
キッカケは民主党政権時代に訪れます。
鳩山由紀夫首相は基地移設をめぐって発言を二転三転させ、日米関係を最悪の状態に陥れました。
つづく菅直人首相は3・11で醜態を哂すことになった。
財務省ベッタリの野田佳彦政権では消費増税が決定しました。
ありとあらゆる手を使って日本を貶めた民主党政権でしたが、なかでもショッキングだったのは漁船衝突事件です。
中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりして、船長は逮捕された。
ところが突如、船長の釈放が報じられて唖然としたのを覚えています。
このままでは日本が滅亡する-
危機感を覚えると同時に、自分が日本という国を愛していることに気づいた私は、家族みんなで日本に帰化することを決意しました。
日本人としてのアイデンティティが覚醒した瞬間です。
李氏朝鮮、大韓帝国、大日本帝国、朝鮮、韓国、そして日本……
一族が続けてきた「国籍の旅」に終止符が打たれました。
晴れて朝鮮系日本人となったことで、私は「心の立ち位置」が明確となりました。
今では政治的発言を自由に、堂々と言うことができる。竹島は日本固有の領土!
「在日産業」と呼ばれて
そんな私はいま、山陰地方(鳥取・島根)でパチンコ店を経営しています。
「朝鮮玉入れ」とも揶揄されるパチンコに対して、「在日資本に牛耳られている」というイメージを抱く読者も少なくないでしょう。
「パチンコ屋の利益は朝鮮総連を通じて北朝鮮に流れている」などという噂も耳にします。
実際はどうなのか-。
パチンコの歴史を振り返ると、少し違った景色が見えてくるかもしれません。
パチンコの発祥はイギリスの「コリントゲーム」。
これはU字形の盤に穴を開け、その周囲に釘を打ったもの。
盤の右下隅から打ち出した球が何点の穴に入ったかで得点を競うシンプルなゲームです。
コリントゲームは大正時代に輸入されるようになり、駄菓子屋に置かれました。
「アタリ」が出れば景品としてアメやガムがもらえる。
テレビゲームやインターネットがない時代、駄菓子屋のパチンコは子供たちにとって何よりの娯楽でした。
その後、景品として駄菓子だけでなくタバコが並ぶようになると、大人も駄菓子屋に通うようになった。
私の一族がパチンコ経営を始めたルーツも、祖父母が営んでいた駄菓子屋です。
その後、日本はアメリカと戦争を始めました。
武器をつくるための金属が不足したため、神社や寺から釣り鐘、家庭から鍋や食器が回収された。
鉄製のパチンコ玉、真鍮製の釘も供出され、パチンコは「不要不急の産業」として全面禁止の憂き目に遭います。
戦争が終わると、自宅の一階をパチンコ屋に改装する業者が増えていきました。
景品はパイン缶や桃缶、チョコレートなど、米軍から流れてきた配給品。
なかでも羨望を集めたのは、アメリカ製のタバコです。
戦地帰りの男たちはタバコ目当てにこぞって闇市に足を運び、パチンコを打ち始めました。
タバコを手にして意気揚々と歩いていると、コワモテの男性に「景品をカネに換えないか」と呼び止められる。
彼らこそ、いわゆるヤクザにほかならない。
勘の鋭い皆さんならお気づきのことでしょう。
これが景品交換=三店方式の始まりです。
パチンコの神様
昭和20年代に第一次パチンコブームが巻き起こります。
立役者は「パチンコの神様」「現代パチンコの生みの親」と呼ばれる正村竹一です。
彼が発明した「正村ゲージ」はパチンコ業界に激震を与えました。
それまでのパチンコ台は釘の配置がシンプルで、玉を打つと動きが予測できる。
玉の動きを複雑にして最後までパラパラ感が続くように、職人たちはこぞって釘の数を増やしました。対して正村は、釘の配置を工夫したり、風車などの仕掛けを用意したりすることでトリッキーな玉の動きを実現したのです。
現在のパチンコ台の釘構成も、正村ゲージが原型となっています。
「正村ゲージ」は全国のパチンコ店から注文が殺到、爆発的なヒット商品となります。
しかし注目すべきは、正村が特許を取得しなかったこと。
その代わり、彼は徒弟制度を採用して、弟子たちに製造方法を伝授することにした。
釘打ち職人の育成に力を入れたのです。
正村は自身の利益より、庶民に娯楽を与えることを優先しました。
大手・中小を問わず日本に存在するパチンコメーカーのほとんどは、正村の弟子たちの流れをくんでいます。
在日朝鮮人の弟子もいたものの、大半は日本人でした。
第一次ブームで4万軒以上のパチンコ屋が乱立しましたが、この時点でパチンコは「在日産業」ではなかったのです。
差別ではない
では、どうしてパチンコが「在日産業」といわれるようになったのか-。
日本人が次々と撤退して、朝鮮系が残されたからです。
戦後の貧困から脱した日本は、高度経済成長を迎えました。
いくらでも就職先を見つけられるなか、換金業務=ヤクザというイメージが強いパチンコ屋を日本人があえて選ぶ必要がなくなった。
「在日には職業選択の自由がなかった」というわけではなく、日本人が業界から去っていっただけの話です。
決して差別などではありません。
日本人は昔から「キレイな仕事」を好みます。
対して朝鮮人は、泥臭くて汚くても実入りさえ良ければ構わない。
パチンコだけでなく水商売にもいえることで、居酒屋や「夜の店」を経営する人たちに在日が多い理由もそこにあります。
とはいえ現在、パチンコ業界は縮小の一途をたどっている。
パチンコ店舗数は約8000軒、最盛期の5分の1以下です。
小規模業者の多くが不景気で淘汰されてしまいました。
私の会社は鳥取・島根でパチンコホール8店舗を展開していますが、ある程度の規模がなければ生き残れない世界なのです。
かつてはパチンコ店の7割以上が在日資本とも噂されていましたが、小規模店の廃業にともなって、現在は過半数のパチンコ店が日本人経営ではないでしょうか。
もともと在日であっても、私のように帰化する経営者も多い。
ちなみに、パチンコホール最大手「マルハン」の韓昌祐会長一族も日本に帰化しています。
パチンコ代がミサイルに?
次なる”都市伝説”は、パチンコ屋の利益が北朝鮮に渡っているのではないかというものです。
結論から言うと、半分ポンドで半分ウソ……といったところでしょうか。
昭和30年代、在日朝鮮人の帰還事業が行われました。
北朝鮮を「地上の楽園」と称賛して帰還事業に加担したのは、朝日新聞をはじめとする大手新聞です。マスコミに騙されて北朝鮮に戻った約10万人の在日を待っていたのは、地獄のような生活でした。
北朝鮮に渡ってしまった帰還者たちは、脱北しない限り日本に戻れません。
何とか生き延びるために、日本に残された親族に支援を求めるのは自然なことです。
北朝鮮政府の人質となった身内を助けるために、在日たちは仕送りとして円を送金していたのです。
パチンコ業界には在日が多いゆえに、パチンコ代が北朝鮮に渡っていたことは事実。
しかし、個人に対する仕送りであって、金一族への上納金というわけではない。
北朝鮮に1万円を送ると、コメが100キロ買えるという話を聞いたことがあります。
10キロ1000円と考えれば、日本のスーパーで買うより少し安いくらいの価格。
つまり、円から北朝鮮ウォンに換金する過程で、政府が法外なレートを適用して中抜きしているということです。
それが核・ミサイル開発の資金源となった可能性は十分あります。
北朝鮮政府と協力関係にあると噂される企業もゼロではありません。
さらにパチンコ業界には、学生運動が盛んな頃に北朝鮮にシンパシーを感じて「資本主義を倒さなければならない!」と息巻いていた経営者もいたようです。
しかし、いずれもパチンコの世界だけでなく、どこの業界にもいえることではないでしょうか。
コロナ禍の逆風
ただでさえ世間の逆風に哂されてきたパチンコ業界は、コロナ禍でさらなるイメージダウンに直面することになりました。99.7%のパチンコ屋は日本のルールに従い、営業自粛要請に応じた。
ところが、ごく一部のパチンコ店が要請を無視して営業を続けたために、マスコミの標的となり、連日のように開店前の行列がテレビ画面に映し出されてしまいました。
多くの方々がパチンコ店に三密(密集、密接、密閉)のイメージを抱いているようですが、実はパチンコホールこそ最もコロナに感染しにくい場所にほかならない。
タバコを吸いながらパチンコを打つ人が多いため、焼肉屋並みに換気を行っています。
さらに、お客さんは目の前のパチンコ台に集中して会話をすることがないので、飛沫感染も心配する必要はありません。
その証拠に、パチンコ店でクラスターが発生した事例はいまだゼロ。
この記事をキッカケに、何かと風当たりの強いパチンコへの誤解が解ければ幸いです。

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