澄んだ心で、生をまっとうせよ…それが、鎌倉、室町時代に確立された、禅の真髄だろう。
鎌倉・室町期に確立された禅の精神を、人類史・宗教史・哲学史の流れの中で捉え直し、権力やエゴイズムを超えて真実を生きることの意味を語る思想的随想。
2017-05-13発信。
澄んだ心で、生をまっとうせよ…それが、鎌倉、室町時代に確立された、禅の真髄だろう。
2017-05-13。
おはようございます。
私からのメッセージ。
2011-01-11。
大半の人は、地べたの様に、貧しかった。
古今東西の、創世紀から、千年以上、経過して。
禅は、どうしようもなく貧しく、生きる意味など、見いだす術も無かった人たちにたいする救済宗教。
仏教なら成仏仏教から。
言わば、我思う、ゆえに我あり、の近代の哲学へと進化したのである。
当然ながら、空海、最澄の時代から四百年、五百年が経過して、人々が、少しづつ、豊かに、賢く成って来たからだろう。
…The Times They Are a-Changin’。
その肝要とは、人間は閉じ込められたものではない、開かれたもの。
また、世界は人間だけのものではなく、全てのものであること。
無限の思索は、無限の自由と、広大無辺な宇宙に繋がっているのだ、と、知ること。
権力者なぞも、何物でもなく、権力とは方便にすぎないものであること。
ゆえに、権力について、語る事を生業としているような者は、実は、ロクな者ではないのである。
毎日、毎日、権力について語るなんぞは、愚か者の極みであり、愚か者は、愚か者を増殖させるだけなのだ。
日本の痴呆テレビ、大新聞の論説員等の有り様を見よ。
極めるべきは常に真実。
それは誰にとっても同じなのだ。
禅は、そう言っているのだと、私は思う。
生死は免れないのが人生であり、自然の理なのだから、己の慾=エゴイズムに捕われて生きてはいけない。
愚か者として生きてはいけない。
邪気や餓鬼として生きてはいけない。
権力に追従するなんぞは最低の人間。
二十一世紀の人間の為すべきことではない。
澄んだ心で、生をまっとうせよ。
それが、鎌倉、室町時代に確立された、禅の真髄だろう。
間もなく、「文明のターンテーブル」、第二章を書きだします。
中略。
二十一世紀に生きる空海、最澄として、呵々大笑。
閃光のようなことばを、書き続けたいと思っています。
批判すべきものは、とことん批判し、褒めるべきものは、何の遠慮もなく、褒め称え。
その素晴らしさを、実名を挙げて。
その達成している事、表現している事の真実を。
出来るだけ多くの日本人。
ひいては世界中の人に伝え、称えたい。
何故なら、世界を照らし。
今は、二十一世紀であることを第一義的に語り。
世界を、理想と平和に導くものは、このようなひとたちだからだ。
個人であれ、雑誌であれ、ドキュメンタリーフィルムであれ、映画であれ。
ありとあらゆる、本物の芸術であれ、研究者であれ、企業家であれ、宗教家であれ。
現在、最高の国であれ、スポーツであれ。