中韓とも「蒸し返し」が大好きなお国柄であるらしい
中国と韓国が日本を「永遠の罪人」に仕立て上げようとする歴史戦の構造を、日中戦争・毛沢東発言・東京裁判観を軸に検証する。過去の「侵略」論よりも、現在進行形の覇権行為と人権侵害こそ問われるべきだと論じる。
2017-05-23
以下は2016-02-03に世界に発信した記事である。
日本を国際社会における「永遠の罪人」に仕立て上げようとするー。
2016-02-03
以下は先日の産経新聞からである。
見出し以外の文中強調は私。
中国はことあるごとに、「侵略戦争」を発動した日本という“歴史問題”を持ち出して、日本を国際社会における「永遠の罪人」に仕立て上げようとするー。
これは『日中戦争の「不都合な真実」』(北村稔・林思雲、PHP文庫)からの引用だが、この一書を読めば事柄の大筋と本質がよく分かる。
日本の侵略を口にする人々に問いたい。
「毛主席がお会いします」。
突然、そう言われて田中角栄、大平正芳、二階堂進の3人が会見に臨んだ。
「もう喧嘩は終わりましたか」という毛沢東の名言はこのときのものだ。
緊張の中にも和気に似たものがあふれていた。
あれから40年!(正確には44年か)。
3人のうちのあるご子息からうかがった話である。
「訪中した宴席でのこと、随員が『井戸を掘った人の恩は忘れないと言っていただいて以来、今日まで友好関係が続いたことは慶賀すべきことです』と述べたところ、先方の高官から思いがけない言葉が返ってきたのです」。
ほうッ。
「今、私どもは井戸水なんか飲んでいません。
ミネラルウオーターです!」。
まあ、なんと。
♪古い上着よ、さようなら…。
さらば「韜光養晦」というわけですナ。
その心は〈日本から取るべきものは取った。
オレたちは今や大国なんだ〉というわけですか。
「蒸し返し」が大好き。
毛沢東は別の折、訪中した社会党(当時)の佐々木更三らを前にこう言っている。
「皇軍が中国の大半を侵略しなかったら、中国人民は団結できなかった。
皇軍はわれわれにとって素晴らしい教師だった」。
それはそうだろう。
満洲事変以後、毛沢東は日本を格好の餌食ととらえ、徹底的に「抗日」を煽ったのだから。
中国共産党が政権の座にある正当性は「抗日戦勝利」というタテマエにしかないのだ。
日本が侵略者でないと困る。
それは、あちらの言い分だから仕方がない。
けれども、こちら側でも「侵略戦争だった」と先さまに同調する人たちが大勢いる。
共同声明に至るプロセスで「ご迷惑をおかけしました」と言ったのだから、それで十分ではないか。
中国側は「女性のスカートに水をかけたときに使う言葉ではないか」と不満気ではあったが、いや、日本語では誠意を尽くした言葉なのだと説明して、中国側も「了」としたのではなかったか。
中韓とも「蒸し返し」が大好きなお国柄であるらしい。
あのとき、もし、角サンでなく岸信介だったらどうなっていただろうか。
同時代を経験した両者なら意外と話が合ったかもしれない。
岸信介は生前、「東京裁判」についてこう語っている。
「戦争に負けたことに対して日本国民と天皇陛下に責任はあっても、アメリカに対しては責任はない。
しかし、勝者が敗者を罰するのだし、どんな法律のもとにわれわれを罰するか、負けたからには仕方がない。
ただ、自分たちの行動については、なかには侵略戦争というものもいるだろうけれど、われわれとしては追いつめられて戦わざるを得なかったという考え方をはっきりと後世に残しておく必要がある、ということで、あの裁判には臨むつもりであった」。
(『岸 信介の回想』、岸信介・矢次一夫・伊藤隆、文藝春秋学藝ライブラリー)。
人権・言論の抑圧。
数多くの文献に当たり、歴史の真実に迫る努力も大切だが、同時代の人々の証言が得られれば、なお立体化した歴史イメージを描くことができる。
伊藤隆氏らが進めてきたオーラルヒストリーの意義はそこにある。
「日本の侵略」を口にする人々に問いたい。
今、中国がやっているもろもろの覇権的行為は「侵略」ではないのか。
チベット、ウイグルを虐げ、尖閣・沖縄に触手を伸ばし、南沙をかすめ、内にあっては今世紀の出来事かと思わせるほどの拉致を含む人権・言論の抑圧―。
これらは人間精神への侵略にほかならない。
相手の宣伝に同調して過去の侵略を言い立てる前に「今、そこにある侵略」こそ問題ではないだろうか。
以上、立林明彦