作られた「民意」と発送電分離 ― 脱原発の旗の下で進んだ既定路線
原発事故を契機に、「東電悪玉論」と「脱原発」を結び付けた世論が形成され、発送電分離と電力自由化が一気に正当化された過程を分析する論考。経産省改革派官僚と脱原発運動の奇妙な利害一致、その背後にあるショック・ドクトリン的手法を鋭く指摘する。
2016-03-24
以下は前章の続きである。
というわけで、いつの間にか、「東電は原発事故の元凶だ!東電を潰せ!東電の特権を奪え!電力自由化だ。発送電分離だ!原発ゼロ!」という「民意」が作られてしまったのです。
これはまさに経産省「改革」派官僚たちにとって願ってもない展開でした。
もはやお蔵入り同然だった発送電分離論が、一挙に国民に脱原発の錦の御旗の下に浸透していったのですから、彼らは随喜の涙にむせいだことでしょう。
おそらく資源エネルギー局を除いて、経産省官僚は打ち揃って脱原発派に転向したのではないでしょうか(冗談です)。
まぁ今さら経産省が、「小泉・竹中改革の延長戦をやろう」では、国民は「冗談じゃないや。誰のおかげで失業者が増えて、格差社会になったんだ」と怒りだすでしょうが、「脱原発」が旗印ならいまの日本で反対する人はいませんから。
原発事故という巨大な災厄をダシにしたショック・ドクトリン的手法で、経産省改革派官僚と飯田氏の利害が一致したわけなのですが、脱原発の旗手と原発推進の司令塔が同じ改革案を出してくるこのうさん臭さは一体なんなのでしょう。
これではまるで「発送電分離」・原作・経産省、脚色・演出・主演・飯田哲也といったところです。