戦前の旧制中学と青年将校 ― エリートが抱いた「社会は間違っている」という感覚

戦前の旧制中学は日本男子の一割しか進めない超エリートコースであり、その頂点にいた青年将校たちは極度の貧困と社会の不公平を肌で感じていた。彼らの正義感に入り込んだ「右翼という名の左翼思想」が、五・一五事件へとつながっていく過程を具体的に描く。

2017-06-13
以下は前章の続きである。
陸軍に入った共産主義思想
戦前の中学校というのは、日本男子の十人に一人が入れるかどうかというエリートコースです。
特に田舎に行くと、一つの村から何年かに一人、旧制中学に入るというようなもので、滅多に入れるものではなかった。
ですから、当時、中学校に行くだけで町内から仰ぎ見られます。
ウチの町内では私一人だけでしたから、大したものです(笑)。
その旧制中学の一、二年生の中で、一番から三番くらいまでの成績で、しかも体も丈夫、運動もできて、勉強もできるけれど近眼にもならないというような人だけが、陸軍ならば幼年学校に行ける。
四年生、五年生であれば、海軍兵学校や陸軍予科士官学校に行きます。
ですから、当時の軍人というのは華の華なのです。
山本五十六元帥の息子さんは非常に優秀な方で、もちろん父親の後を継いで海軍兵学校に入るつもりでしたが、近眼だかなんだかで落ちた。
それで東大に入ったというくらいです。
そんな優秀な人たちが、二十歳くらいで少尉になります。
そして鉄砲や機関銃を持っている兵隊が百二十人くらいつきます。
しかし、少尉や中尉や大尉では貧乏で、自分の兵隊はもっと貧乏です。
ところが気がついてみたら、一般の人たちでもどうも贅沢している奴らがいる。
兵隊たちはうんと貧しい東北からやってきているし、自分たちも貧しい。
彼らは、社会が間違っていると感じた。
これが青年将校です。
そこに、すーつと入り込んだのが、右翼という名の左翼です。
右翼思想が入りやすいのは、「身分の高い者、地主、経営者、資本家はなくせ、しかし皇室は敬え」と言ったので、軍人には受け入れやすかったからです。
青年将校が怖いのは部下を持っていることです。
最初の反乱である五・一五事件は犬養首相を殺していますが、この頃は国民もピンと来なかった。
「金持ちがいて、貧乏人がいるのはけしからん」というロシア革命からきた思想を、正しいことのように感じました。
ですから、首相を殺すような青年将校でも、裁判には救命のための手紙がたくさんいった。
首相を白昼殺した軍人が死刑にもならず、懲役十五年で、そのうち皇太子殿下(今上天皇)がお生まれになったので、恩赦になり出てくることになった。
こういう状況を見ていると、総理大臣を殺してもどうってことないんだな、と思うような人も出てくるのではないですか。
この稿続く。

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