安保改訂は当然だった ― 学者と知識人の盲点
六〇年安保改訂は日本の国益から見て不可避だった。左翼思想に染まった学界とジャーナリズムの構造、留学経験から見た西ドイツの現実、そして改訂安保の下で続いた高度経済成長を通じ、専門家が見誤った理由を実体験から論じる。
2017-06-15
以下は前章の続きである。
安保改訂は当たり前
ジャーナリズムの世界でも、日本中にいる左翼の教授に教えられた有名大学出身の秀才の弟子たちが、朝日新聞社に入る。
朝日新聞社に入るのは難しいですから、有名大学の秀才が入るんです。
有名な大学ほど左翼が入り込んでいますから、その弟子の思想たるや想像するに難くない。
最近では、その弟子たちの弟子くらいの人たちからは、大先生の左翼の影響を受けていない正気の人も出てきました。
では、私は大学教授でありながら、どうしてこのような考え方になったか。
左翼でない言論人は、例えば佐伯彰一さんや私は英文科、小堀桂一郎さんや西尾幹二さんは独文科と、外国文学を専攻していて、法学部や経済学部、日本史ではありません。
ですから、自分の先生が左翼でも右翼でも関係ない。
先生方の意見を考慮する必要がなかったのです。
だから、師を裏切ることなく、戦後、正しいことが言えた。
私はドイツ、イギリスと留学させてもらって、大学の教壇に立ったのが一九五九年です。
六〇年安保の直前です。
安保闘争というのはすごい騒ぎでしたが、私はドイツを見てきています。
私の留学した頃のドイツは、ベルリンの壁もまだできる前でした。
当時、西ドイツでは共産主義などというのは全く魅力のないものです。
西ドイツには共産主義の教授などは1人もいないと言われていました。
そして帰国してみると、岸信介首相が安保改訂を訴えている。
普通に考えれば、安保改訂しなければ困るということはすぐにわかります。
日本は保護国のようなものですから、改訂しなければならないでしょう。
ですから、クラスの生徒たちに、あんなデモに行くなと止めましたが、あまり言うことをきかなかった(笑)。
私は上智大学で「岸首相を励ます会」というのを作り、会長になりました。
有志は集まるんですが、この数がデモするほどにはならない(笑)。
しようがないから、読んだかどうかは知りませんが、岸首相に一所懸命、激励の手紙を書きました。
その後、岸首相の決めた改訂安保条約の下で、今までずっと高度経済成長が続いています。
日本の枠組みは、改訂安保の上に成り立っているのです。
ですから、あの時、改訂が必要だとわからなかった経済学者や政治学者は、馬鹿ではないかと思います。
専門家といえども尊敬する必要もないし、私は全くの素人ですが間違ってはいなかったと思います。
この稿続く。