白人支配への挑戦としての日本――セオドアの対日敵視の起点
高山正之『日本人の目を覚ます痛快35章』(Themis)第2章の続編。
対日敵視の起点は満州事変ではなく、1893年のハワイ事件にある。
日本の抗議が白人支配の威信を揺るがし、**セオドア・ルーズベルトの「日本を制する」構想を生んだ。
その本質をマハティール・モハマド**は鋭く指摘した。
2016-03-30
以下は、高山正之の『日本人の目を覚ます痛快三十五章』(Themis、一〇〇〇円)、「第2章 大江健三郎と朝日新聞社の奇妙な連携」の続きである。
では、最初にセオドアが日本敵視を始めたきっかけは何か。
当たり前だが、松本氏のいう四十年後の満州事変ではない。
これも歴史書にある。
一八九三年、ハワイ王国を米国人グループが武力で乗っ取ったとき、日本の巡洋艦「浪速」がホノルルに乗り込んで無言の抗議を行った。
白人国家が第三世界でどんな理不尽をやろうが、それは勝手だと一八八五年のベルリン条約で決めてあった。
しかし、日本が軍艦を乗り込ませて抗議したことは、当然、世界の耳目をさらした。
いくら白人の勝手とはいえ、これはまずい。
米国はハワイ併合を五年も延ばすことになった。
この時代、白人は神様だった。
例えばアルゼンチンでは近代化のために、わずかに生き残っていたインディオの皆殺しをやった。
指揮したロッカ将軍は、その功績で大統領に就任している。
オーストラリアではアボリジニを撃ち殺す狩りが週末の白人の娯楽だったし、米国ではリンカーン大統領が奴隷解放宣言と並行してインディアン殲滅を命じている。
そのインディオと同じ肌色の日本人に、米国は恥をかかされた。
セオドアが「ハワイに星条旗をいっぱい立てる」と吼えたのは、このときの腹立たしさからの発言だった。
ところが、その日本はハワイ騒動のあと支那を叩きのめし、白人国家ロシアまでやっつけた。
放っておけば、白人の権威は崩壊してしまう。
セオドアの「日本を制する」思いは、米国人共通の思いへと膨らんでいった。
歴史の流れは、むしろ米国が日本に戦争を仕掛け、叩き潰したがっていたと見たほうが整合性がある。
米国が日本を潰したのは、「日本が侵略国家だからではなく、第三世界を支配する白人の沽券からだった」と指摘したのが、**マハティール・モハマド**である。
この稿続く。