憲法前文に刻まれた主権否定 ― 私の「梅毒」根治三段階案

戦後日本に残された東京裁判史観という「梅毒」を根治するための三段階案を提示する。第一段階として独立記念日の制定を提唱し、主権なき占領下で制定された日本国憲法の欺瞞、とりわけ憲法前文に明示された主権否定の構造を明らかにする。​​​​​​​

2017-06-15
以下は前章の続きである。
私の三段階にわたる「梅毒」根治案
そこで、私は三段階にわたる梅毒根治案というものを考えました。
第一段階は、まず「独立記念日」を制定することです。
私が見聞きしただけでも、日本がかつて占領され主権を奪われた時期があったということを知らない若者が多い。
彼らに日本に主権がなかった時代が、約七年間(一九四五年八月十四日~一九五二年四月二十八日)が存在したことを知らしめなくてはなりません。
幸いにして、独立記念日は四月二十八日ですから、制定されればゴールデンウィークが延びるので誰も反対しないでしょう(笑)。
彼らに主権がないということは、どういうことかも教えてあげなくてはいけません。
大使館を持てない、国旗掲揚・国歌斉唱ができない。
輸出入については、占領軍の許可をもらわなくてはならない。
言論統制が敷かれる。
あらゆる法律は占領軍の許可や命令などがなければ制定施行することができない。
憲法も例外ではありません。
日本に主権がないときに、主権の意思が発動されてつくられるべき憲法が成立したというのは(公布は一九四六年十一月三日、施行は翌四七年五月三日)、まったくの詐欺に等しいといえます。
その詐欺ぶりがいちばんよくあらわれているのは、巷間に言われる第九条ではなく、じつは憲法前文です。
日本にはいまだに主権がないことを如実に書いている重要な文章なのに、誰もあまり取り上げません。
憲法前文にはこうあります。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(下線は渡部)
日本以外の国々は、すべて平和を愛する国だと勝手に決めつけているに等しい。
国民の安全のみならず、生存まで他国に預けるというのは、この国には主権がないということです。
こんな明確な主権否定の言葉はありません。
また、憲法の公布文には「朕は日本国民の総意に基いて新日本建設の礎が定まるに至ったことを深くよろこび」云々という勅語がついている。
勅語は当然書かされたものであって、「国民の総意」なんてありませんでした。
占領当時、憲法を議論することは厳に禁じられていましたから。
五月三日は憲法記念日ですが、むしろ「憲法恥辱の日」と言い換えたほうがいい。
主権が奪われたまま、主権の発露でもない憲法を憲法として押し付けられた恥ずべき日として記憶し、思い出す日にする。
日本の憲法が主権の発動でないいちばんわかりやすい例は、その新憲法なるものが制定されたあとで、日本国内で憲法及びそれに基づく刑法に依らないで死刑にされた日本人がいっぱいいるわけです。
東條大将以下日本国内で、日本人が憲法に依らずに殺されているわけです。
主権がないいちばんの証左でしょう。

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