「持てる国」と戦うという発想はなかった――東條英機の現実認識
石油や鉄鉱石を自給できない非アウタルキー国家・日本にとって、資源を掌握する米英蘭と戦うという選択肢は存在しなかった。東條英機の宣誓供述書は、当時の国際経済構造と日本の制約条件を冷静に示している。
2017-06-17
以下は前章の続きである。
前述したように、日本は石油や鉄鉱石などの原材料が自前で産出できない。
1930年にアメリカが課した高関税をきっかけとして、世界経済はブロック化し、貿易量は1930年から31年の1年間に半分近くにまで減少したとまで言われる。
「供述書」には出てこないが、当時の言葉で「アウタルキー(autarky)」という言葉がある。
これは「自己完結経済単位」と訳されるが、要するに輸出入しないでも近代国家として生きることのできる領土を持っているということである。
「供述書」にもでてくるが、「持てる国」(=haves)とは、アウタルキー国家であり、当時で言えばアメリカ、世界の四分の一を植民地にしていたイギリス、インドネシアを領土としていたオランダ、そのほかフランス、ソ連である。
東條は、日本が非アウタルキー国家であることを終始一貫主張している。
それでも外部から必要な資源などが輸入できれば問題ないのだが、当時のブロック経済のもとでは、それがなかなかできないという意識が絶えず東條の頭のなかにあった。
だから、原材料を押さえているアメリカやイギリス、オランダを相手に戦う発想は、東條にはなかった。
そして、「持たざる国」(=have-nots)というのは、奇しくも松岡洋右が画策した日独伊三国同盟の三国である、ドイツ、イタリア、日本のことだった。
ドイツも石油のためにはルーマニアに進出しなくてはならないと考えていたくらいである。
この稿続く。