戦後日本を縛り続けた「国連幻想」という信仰

国連特別報告者の発言は国連の総意ではないという原則が、国連事務総長によって明言されたにもかかわらず、日本ではいまだ「国連」の名が絶対的権威として扱われている。その背景にある戦後日本特有の国連信仰と、その歴史的経緯を検証する。

2017-06-27
以下は前章の続きである。
しかし特別報告者の意見が国連自体の意見ではないという大原則は忘れてはならない。
この原則はつい最近の五月二十七日、アントニオ・グテーレス国連事務総長から安倍首相に対して明確に伝えられた。
イタリアでのG7開催を契機とした両者の会談で同総長から日本のテロ準備罪法案に反対するケナタッチ特別報告者の意見は国連全体の意見ではないことが明言された。
「人権理事会の特別報告者は、国連とは別の個人の資格で活動しており、その主張は、必ずしも国連の総意を反映するものではない」という発言だったという。
しかしそれでもなお日本での政治その他の論議では「国連」の名は重みを持つ。
水戸黄門の葵の御紋、徳川末期の錦の御旗のような効用といえようか。
いや国連の場合、そもそもそんな実効のパワーはないのである。
日本側が勝手に国連を実権ある神聖な国際組織として奉ってしまったのだといえよう。
日本のこうした国連の過大評価は国連幻想と呼ぶこともできる。
戦後の日本は国連幻想につきまとわれてきたといえるのだ。
国際連合はいうまでもなく第二次大戦後のまもない時期に、世界の大戦争を二度と起こさないという祈願をこめて設立された国際機関である二〇一七年五月の現時点で加盟は合計百九十三力国を数える。
日本では国連への信奉は戦後の早い時期から異様なほど強かった。
国連はいつも「平和の殿堂」として奉られた。
日本の防衛は国連平和軍にすべて任せようという主張が東大教授によって真剣に提案された。
わりに近年でも当時、自民党の領袖だった小沢一郎氏などが日本の外交政策はすべて「国連中心主義」とか「国連第一主義」にすべきだと唱えた。
日本のこうした国連信仰も戦後の早い時代ならそれなりにもっともな理由があった。
日本はなにしろ敗戦国だったのだ。
独立を失った被占領国だった。
やっと独立を果たして国際社会の認知を得るには国連への依存、国連との一体化がおそらく唯一の方法だったのだろう。
しかしその異様なほどの信仰は日本が立派な独立国家となってからも長い歳月、続いた。
この稿続く。

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