慰安婦像の真の発案者――鍾路区長と政治主導の構図
慰安婦像は挺対協や制作者の独創ではなく、鍾路区長が制度上の抜け道を利用して主導した政治的産物だった。日本ではほとんど報じられていない事実を整理し、国際広報戦で日本が劣勢に立たされる根本原因を明らかにする。
発信日:2017-06-28
ここでもう一つ、日本でまったく知られていない新しい事実を指摘したい。
以下は前章の続きである。
まずは相手を知れ!
金氏がそのインタビューで慰安婦像に込められた意味を語っている部分を翻訳する。
〈少女像は頭を短く刈られており、靴を履いていない。軍人らに自分たちの生活を奪われたお婆さんたちの少女時代を描いた。少女はかかとをついてない。朝鮮の娘でありながら、その地に根を下ろすことができずに生きてきた痛みそのものだ。しかし、希望も込めたかった。少女像の左の肩に止まっている鳥は平和を、空席の椅子はだれでもともに座りお婆さんたちと連帯してほしいという意味を込めた。少女とつながる影にはお婆さんたちの今の姿を投影し、影の中の白い蝶はより良い人生への生まれ変わりを望む心を込めた〉
以上でネット上の事実誤認への反論は十分だろう。
ここでもう一つ、日本でまったく知られていない新しい事実を指摘したい。
民族衣装を着た少女が椅子に座っている慰安婦像というアイデアは、実は挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)や金運成氏が抱いたものではなかった。
慰安婦像設置を後押しした金ヨンジョン鍾路区長が最初に提案したという。
2011年3月、反日団体である挺対協が日本大使館目に慰安婦の記念碑を建てたいと鍾路区長に面会した。
その席で金ヨンジョン区長が、道路法上、記念碑建立は道路占用許可が必要だが、芸術品に分類される慰安婦像なら許可対象ではないとして、像を造ることを助言したのだ。
金ヨンジョン区長は文在寅政権の与党である「共に民主党」所属で区長になる前、26年間建築士として慟いていたという。
金区長は「黒色短髪に白いチョゴリ、黒色スカート、木椅子とそのそばの空の椅子、十五度上を向いて大使館を凝視する視線など現在の少女像の基本コンセプトも出した」(ネット版『毎日経済新聞』2017年1月14日)という。
なお、金運成氏が挺対協から慰安婦像制作を依頼されるのは2011年5月だった。
だから、金ヨンジョン区長の基本構想にのっとって反米芸術家の金運成氏が制作を担当したのだ。
釜山の総領事館前の慰安婦像設置に当たっては、釜山市東区庁が一度、像を撤去したが、世論の反発に負けて像の設置を許すという経緯があった。
しかし、ソウルの日本大使館前ではそのようなことは起きなかった。
区長自らが像設置を企画し後押ししていたからだ。
日韓慰安婦合意の直後の2016年1月26日付『ソウル新聞』で、金区長は「(慰安婦像は)芸術作品であるので移転、撤去はない」「中央政府から要請が下りてきても撤去する根拠はないし、担当行政機関として撤去する考えもない」と断言している。
事実に基づいて反論するためには相手を知らなければならない。
日本では鍾路区長が慰安婦像設置に果たした役割についてまったく報じられていない。
これでは国際広報戦に勝てない。