朝日新聞が作った慰安婦虚構――92年1月11日一面トップの決定的影響

朝日新聞が1992年1月11日の一面トップで報じた慰安婦関連記事が、日本社会と韓国世論、さらには国際社会にまで与えた深刻な影響を検証し、慰安婦虚構がどのように形成・拡散されたのかを明らかにする。

2016-06-27

◎ 前章からの続き

以下は前章の続きである。

◎ 最初の論文

私の最初の慰安婦関連の論文である。

◎ 論文の骨格

『文春』論文のように本格的な調査や取材を踏まえたものではなかったが、①「慰安婦」と「挺身隊」の混同、②「慰安婦の強制連行」はなかったのではないか、③韓国は日本政府に補償の請求はできないーという議論の骨格は同じである。

◎ 正しさの証明

慰安婦問題で「謝罪と補償をせよ」と日本政府を糾弾する論調一色だった当時、論壇でそれに異を唱える主張は他にほとんどなかったと記憶しているが、この2つの論文で提起した議論は、「慰安婦」で日本を糾弾する勢力とのその後の論争を通じて正しさが証明されたと考える。

◎ 当時の日本人の認識

当時、多くの日本人は、「吉田清治が言う『奴隷狩り』のような強制連行が本当にあったのなら、補償や謝罪を求めるのも一理ある」と考えていた。

◎ 吉田証言の虚偽

「吉田清治の『奴隷狩り』」は、朝日新聞が1982年以降繰り返し報じ、今年8月5日に掲載した自社の慰安婦報道の「検証」記事でようやく虚偽と認めた嘘話である。

◎ 明白な矛盾

その吉田清治の証言には、常識次元での明らかな矛盾があった。

◎ 挺身隊の実態

彼は自らの体験として、「『皇軍慰問女子挺身隊』の名で朝鮮人女性を慰安婦として狩り出した」と語っていたが、「挺身隊」の業務は勤労奉仕であり、慰安婦とはまったく関係ない。

◎ 知られていた事実

このことは戦時を知る日本人、さらには日本統治を経験した韓国人も実体験として知っていたし、戦後生まれの日本人も歴史を学んでいれば知識として持っていた。

◎ 植村記事

ところが、朝日の植村記事は「女子挺身隊の名で連行された『朝鮮人慰安婦』のうち1人」が名乗り出たと書いた。

◎ 社会的錯覚

その結果、「狩られたという本人が名乗り出たのだから、吉田証言は真実だったのだ」と日本中が信じてしまったのだ。

◎ 92年1月11日

朝日新聞はさらに92年1月11日付の1面トップ記事で、「日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していた」ことを示す資料が見つかったと大々的に報じ、

◎ 数字の提示

「従軍慰安婦」についても、「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」と書いた。

◎ 国際的影響

この解説は、現在、アメリカ各地で建てられている慰安婦の碑に刻まれた「20万人がセックス・スレイブ(性奴隷)として強制連行された」という日本糾弾碑文の原形だが、

◎ 宮沢首相の謝罪

この報道によって韓国世論は激高し、直後に訪韓した宮沢喜一首相は、強制連行の有無など事実関係を調べることもなしに8回も謝罪と反省を繰り返した。

◎ 国民心理

国民の間でも、一種の催眠術にかけられたかのように「慰安婦に謝罪するべきだ」との声が高まっていった。

◎ 疑問の発生

私も一時はこうした報道を信じかけたが、調べ始めてすぐに、慰安婦だったと名乗り出た女性たちが実は強制連行されたとは言ってはいないことに気付いた。

◎ 続き

この稿続く。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください