「中国の脅威」を語らせない論理――左派系メディアに共通する異論排除の思考

左派系メディアは「多様な意見を尊重せよ」と唱えながら、中国の脅威という論点においては異論を一切認めない。朝日新聞、毎日新聞、東京新聞の社説を具体例に、言論の自由を標榜しつつ実際には議論を封殺する構造と、その思考停止の実態を明らかにする。

2017-08-02
以下は前章の続きである。
この手の社説は事あるたびに表れる。
社が違っても、まるでコピーしたかのように同じ言葉遣いで叫ぶところが興味深い。
これも、左派系メディアが頭のなかが同じという証拠である。
たとえば朝日新聞は、2017年3月6日付の社説で「自民党大会異論なき一強の危うさ」と題して、こう書いた。
「異論や批判に耳を傾け、常に自省する。そんな姿勢がなければ権力は腐敗する。その影響は広く国民に及ぶ。歴史が教える権力の危うさを白民党はいま一度、胸に刻むべきだ」
毎日新聞の同5月1日付の社説「朝日新聞襲撃から30年 むしろ広がる異論封じ」はこうだ。
「異論も受け入れ、自由にものが言える社会を支える。報道機関としての決意を新たにしたい。……自分の気に入らない意見を認めず、一方的にレッテルを貼って排除する。激しい非難や極論は相手を萎縮させ、沈黙をもたらす。……有形無形の圧力が少数意見を抑え付けていないか。その監視役をメディアが果たさねばならない」
東京新聞はどうか。
安倍首相の自民党総裁再選を受けた2015年11月15日付の社説は、「議論を自由に戦わせるよりも、異論を認めず『一枚岩』の方が得策という党内の空気である……国民の間に存する多様な意見に謙虚に耳を傾ける。それこそが自民党が国民政党として再生するための王道である」と書いた。
安倍改造内閣の発足を受けた2014年9月4日付の社説では、「自らの主張のみを正しいと思い込み、国民の中にある異論を十分にくみ取って、不安に思いをめぐらせたと言えるのだろうか。……異論封じが強まる気配すら感じる」と書いている。
私に言わせれば、とりわけ東京新聞はちゃんちゃらおかしい。
上から目線で「多様な意見に謙虚に耳を傾けよ」と言いながら、自分自身はどうなのか。
自社の論説委員に異論を書かせないではないか。
左翼は異論を認めないから、実は議論もできない。
自分たちが正しいというのが前提になっていて相手の言い分に耳を傾けないから、議論になりようがないのだ。
たとえば、中国の脅威をどうみるか。
彼らは「脅威を煽るほうが問題」という。
「中国は脅威ではなく共存共栄を目指す相手」という現状認識から一歩も動かない。
だから左派系メディアは、「中国となにか問題があれば、話し合いで解決する」という結論になる。
私が「中国が尖閣諸島を脅かし、沖縄にも食指を伸ばしているではないか」と言っても、そういう話は異論として退ける。
それでオシマイなのだ。
この稿続く。

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