中国文明の深層を知る唯一の碩学――黄文雄という存在— 虐殺史として読む支那史 —

台湾出身の文明史研究家・黄文雄は、中国の歴史と文化を虐殺史として読み解く稀有な碩学である。
国連やUNESCOを含む国際機関が見落としてきた支那文明の本質を、その膨大な史実から明らかにする。


2016-10-10
中国の歴史、中国の文化・伝統について今の世界で最高の碩学と言って良い学者である。
黄文雄さんは台湾人である。
中国の歴史、中国の文化・伝統について今の世界で最高の碩学と言って良い学者である。
韓国の李明博前大統領の末期の言動の、あまりの酷さに、韓国とは一体、どういう国なのかとインターネットで調べ、1時間で、この国の実態が分かった事は既述のとおり。
この時に、彼を知ったのである。
彼についても朝日新聞の購読者は全く知らなかった。
朝日、毎日、東京、これらの新聞の読者は、今でも全く知らないはずである。
勿論、世界の人たちは全く知らない。
日本が払い続けているお金で高給を得て暮らしている国連の職員、特にUNESCOの職員たちは全く知らない。
つまり、彼らは中国の歴史、中国人の文化や伝統については、全く知らないのである。
日本人の歴史や文化についても同様だろう。
日本については、中国の言う事を真に受けている様な態様だから、一体、どんな頭脳を持って生きているのかというレベルの人たち。
だが日本は、こんな人間たちに、私たちの税金で、ずっと高給を払い続けて来たのである。
民主党は事業仕分けをするのなら、彼らに対する支払いをこそ、仕分けるべきだったろう。

以下は今年3月に発売された別冊正論26に、阿羅先輩の労作の後に掲載されていた彼の論文からである。

蒋介石の住民虐殺に浮かぶ支那の心性
「日本軍の暴虐」創作の背景は何か
黄文雄
評論家・文明史研究家

支那の伝統文化としての虐殺。
歴史や生態によって社会の仕組みも異なり、風習も文化も異なるのは、ごく当たり前のことだ。
国共内戦や朝鮮戦争、ベトナム戦争が起きた近隣諸国と違い、戦後日本が七十年も平和を守り続けていることは、世界では稀有な例である。
もちろん「憲法九条」があるからではなく、誰かの努力でも、英明な指導者のおかげでもない。
それは社会の仕組みのおかげだと私は考える。
江戸や平安の世にも数百年の平和な時代があり、縄文時代の平和はもっと長い。
それは自然生態から生まれた社会の仕組みそのもの。
日本の神々には、古代ギリシヤの「神々の戦い」もない。
戦争のない年はなかった支那と、日本は社会も文化も異なる。
戦争は生活や風習の延長でもあり、文化の一つでもある。
日支の戦争様式(かたち)が違うのは、戦争文化が異なるからだ。
日本の戦争は古来武士が主役だった。
支那は全民戦争が多いので、日本の賤ケ岳の役や関ケ原の戦いのように、百姓が山上で観戦する余裕などない。
京師(王朝の都)は二重、三重の城壁に囲まれ、村落も学校までも囲まれていた。
決して万里の長城だけではないのである。
戦争のかたちが異なる支那では、「虐殺」は伝統、風習になり、戦国時代から「屠城―市中皆殺し」が戦勝の一大行事だった。
長安、洛陽、開封などの京師では、歴代王朝による大虐殺がよく知られる。
戦史によく「穴埋め」も出てくる。
秦将・白起が趙の四十万人以上の投降兵を生き埋めにしたことは史上有名である。
武将が戦功を誇るために、敵の遺体を集めて「京観」を造ることが盛んに行われた。
その遺跡が「万人坑」(万人塚)である。
村対村、部落対部落の集団武力抗争が「械闘」で、史前から人民共和国の文化大革命期を経て現在も続く。
地域の長老だけでなく党書記まで先頭に立ち、武器を持ち出して行う虐殺は民間の風習にもなっている。
ことに民間の武術集団は、匪賊退治だけでなく異教徒の皆殺しも行う。
十九世紀末のイスラム教徒大虐殺(洗回)や、二十世紀初めのキリスト教徒大虐殺の北清事変(義和団の乱)は歴史的大事件となった。
文革期はあらゆる宗教が絶滅された。
一九八九年の六・四北京天安門虐殺に世界は震撼したが、それは「木を見て森を見ない」支那観である。

虐殺史から支那史を読む。
近代支那思想界の傑物・梁啓超は支那人を「戮民」と称した。
頻繁な戦乱と虐殺から逃れられないからだろう。
支那人が他人に無関心で、「他人の不幸を喜ぶ」メンタリティなのは、こんな中華世界に生きるからである。
だから、今の中国人は「僥倖な生き残り」とも言われる。
支那史を「奴隷史」と読む者もいる。
魯迅は「奴隷になろうとしてもなれなかった時代と、奴隷になれてしばらく満足している時代に二分すればいい」と説いた。
支那史を虐殺史として読む根拠は、古代春秋戦国時代の穴埋めや屠城だけではない。
民国時代の殺し合いや文革期の「武闘」もそうで、被害者は一億人以上とまで言われる。
『共産主義黒書』には、人民共和国の血の粛清被害者は八千万人以上とある。
各王朝正史だけでも、類例なき「虐殺史」と読める。
この稿続く。

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