日本人も世界も知らなかった史実— 孫文・蒋介石・毛沢東に連なる虐殺の系譜 —
黄文雄による論考の続編。
孫文、蒋介石、毛沢東という近代中国の象徴的人物が関与した虐殺の実態と、漢人社会の地域差・心性の違いを明らかにし、日本でも世界でもほとんど知られてこなかった史実を提示する。
2016-10-12
日本の多くの人が全く知らなかった史実の数々、勿論、世界の人たちは全く知らなかった史実の数々である。
以下は黄文雄さんの、3月に発売された別冊正論26に掲載されていた、世界の無知とは違う、本物の知性の論文の続きである。日本の多くの人が全く知らなかった史実の数々、勿論、世界の人たちは全く知らなかった史実の数々である。
孫文、蒋介石、毛沢東の虐殺。
辛亥革命、中華民国建国百年を記念して漢文で上梓した『中華民国一百騙(百年百の嘘)』(前衛出版)で、孫文・蒋介石・毛沢東について書いた。
満人と漢人の国民性が異なるだけではなく、漢人も地方によって同じではない。
今でも俚諺にあるように「北京人愛国、上海人出国、広東人売国、香港人無国」なのだ。
イデオロギーだけでなくアイデンティティも、地域によってここまで違う。
日本人の国民性が漢人よりも満人に近く、清は日清戦争で敗けても戊戌維新、立憲運動などが起きている。
樽井藤吉が言う「大東合邦」とまではいかなくても、日清は一蓮托生の関係に近い。
しかし辛亥革命の際に日本の志士たちがあれほど「支那革命」で粉骨砕身をしても、支那事変後にかぎらず中華民国、ことに孫文・蒋介石らには裏切られ、以後の漢人は反日に走った。
この史実を決して見逃してはならぬ。
孫文の革命生涯はその約三分の二を日本で過ごした。
義兄の孔祥煕に言わせれば「皇帝の生活」で、カネの切れ目が縁の切れ目となる。
内田良平は早くから孫文が卑怯者であると見抜き、付き合うのを止めている。
頭山満翁は孫文に裏切られたが、孫文がレーニンからカネを貰ったことを頭山翁が知った後だと私は推測する。
頭山や内田らの根回しで楚人の華興会、呉人の光復会、越人の興中会の革命三派が東京で「革命同盟会」を旗揚げしたが、楚、呉、越は心性が異なり、内輪揉めは絶えなかった。
孫文の革命資金盗用は、呉人の章炳麟や陶成章らに暴かれて告発ビラが華僑にばらまかれ、孫文は追われ、革命同盟会も空中分解した。呉越の争いは終わらない。
辛亥革命後に南京で成立した臨時政府は、またも孫文のカネの不正で三ヵ月に満たず崩壊。
孫文は北京政府の袁世凱を「中国のワシントン」と礼賛して南京政府をあっさりと売り渡し、自らは北京政府の鉄道大臣となり、美女を連れて豪華列車で全国周遊に出た。
支那の天下人には、孫文や劉邦のような口だけのイカサマ人物と、浙介石や毛沢東、項羽のような実力でのし上がる二つのタイプがある。
孫文は北京政府に対抗して広州で三度も軍政府をつくり、二度追われた。
手持ちの軍隊がなかったので、「客軍」と称される匪賊も含んだ外省人部隊を広東に入れたため、土着の農民軍、工人軍、商人軍と揉めに揉め、商人軍の新兵器掠奪をめぐって故郷広州で大虐殺まで行った。
越人は、毛沢東や項羽ら楚人とはそこが違う。
楚の覇王・項羽は、劉邦の「四面楚歌」の計にやられ、一路逃げたが、父老に面目が立たないと自刎した。
楚人と越人はここまで心性が違うのである。
蒋介石と毛沢東の虐殺話は、蒋の上海での赤狩りと台湾での白色テロ、毛沢東の十大党内抗争で知られる。
この稿続く。