古代から禿山だった朝鮮半島 ― ロシア人探検家が見た「枯死国」の実像
19世紀末、ロシア人探検家ヂェロトケヴィチが記録した朝鮮半島の荒廃した自然環境と飢餓の実態を紹介し、「かつて豊かな国だった」という現代の主張との歴史的矛盾を検証する。
古代から緑をことごとく刈りつくし、墓ばかりで禿山しか残っていないありさまだったのだ。
2016-10-30
以下は前章の続きである。
そんななか、朝鮮に対する関心も高まっていった。
外国人による朝鮮探検が行われ、数々の記録が残されたが、そのひとつが『朝鮮旅行記』(ゲ・デ・チャガイ編、井上紘一訳、平凡社東洋文庫)である。
これはロシアの役人や商人、軍人らによる素朴な日記の集成だが、先にあげたような情勢下で、ロシアの軍事・外交に利することを目指した諜報記録としての側面もないとはいえない。
『朝鮮旅行記』の記述者のひとりである探検家ヂェロトケヴィチは、1885年年末から2ヵ月以上かけて、日本の長崎から船で半島に入り、ソウル~北朝鮮を経て沿海州のポシェトまでを踏破している。
彼の見た半島はまさに枯死国であった。
「山川は墓地や石碑はあるが、濯木も草も見当たらない。見付け次第伐採され、刈られてしまうからである」。
「どこへ行っても禿山と赭土ばかりで、草もすべて燃料のために刈り取られている」。
「山地が痩せていて、昨年もたくさんの餓死者が出た」。
「ここは退屈極まりない土地で、山は禿山、植生はほとんど見られない」。
「朝鮮人たちは土地が痩せていると不満を訴えている。樹木はほとんど皆無で、燃料には藁と草が使われる」。
現代の朝鮮人は自国について「世界一豊かな国だったが、日帝に詐取されて最貧国になってしまった」と主張するが、ヂェロトケヴィチが日韓合邦前に見た半島の姿は前述のとおりだった。
古代から緑をことごとく刈りつくし、墓ばかりで禿山しか残っていないありさまだったのだ。
後略。