理想と現実を同時に見るということ ― 日本人の国防意識

「戦争放棄」や「憲法9条があるから平和だった」という通説を否定し、日本が戦後侵略されずに済んだ現実的理由を国防意識の観点から検証する。理想としての平和と、現実としての抑止力を同時に見る重要性を論じる。

ある程度成熟した人間なら、理想と現実は「同時」に見るべきなのである。
2016-10-31
以下は前章の続きである。
■日本人の国防意識
まず、よく耳にする、“日本は戦争を放棄したから平和だった”とか “日本は憲法9条があるから戦後60年間戦争をしなかった”というフレーズがあるが、これは完全に嘘である。
平和の源は「戦争を放棄したから」ではないし、戦争をしなかった理由は「9条があるから」ではない。
では“なぜ”日本は戦争せずに済んできたのだろうか。
いわゆる平和憲法にはどんな力があったのだろうか。
ここで少し視線の角度を変える意味で「いじめ問題」という“個人の紛争”に形を置き換えて考えての例示を試みることにする。
ここでは「いじめの原因」や「いじめを無くす方法」や「いじめる側といじめられる側どちらに問題があるか」などは述べない。
たとえ話のポイントを1つに絞る。
それは、いじめられる側の一人がもし一方的に「戦いを放棄する宣言」をしたとして、その“いじめられる側による平和の主張”に力があるか、ということ。
もっと単純化すれば、いじめられる側が一人で戦いを放棄していれば「いじめがなくなる」だろうか、ということだ。
答えは、残念なことにNOである。
そんなに簡単にいじめがなくなれば苦労はない。
むしろ戦えない事情のある者や戦う意思の無い者こそいじめられてしまう場合も少なくないのが現実だ。
“世界平和”であれ“いじめられない日常生活”であれ、理想というものを実現するには言葉だけでは足りないのである。
多くの日本人は“いじめ”が単純な方法ではなくならないことはすぐに理解するのに、“戦争”が単純な方法でなくならないということはなかなか理解せず、考える煩わしさから逃げ、ただただ「武装反対」「戦争反対」を連呼する。
しかし平和というのは、社会党が主張していたような「非武装中立」や共産党の主張する「自衛隊派兵反対・9条死守・反米」などで達成できるものではない。
そして世界の国々は“話せばわかる善意の国”ばかりではない。
にも関わらず、日本が戦後60年間、中国やロシアや北朝鮮のような“価値観の全く異なる独裁共産主義国家”に包囲されながらも侵略されることなく平和に暮らしてこられたのは“なぜ”だろうか。
簡単である。
日本の背後で世界最強のアメリカ軍が圧倒的な戦力を誇示していたからだ。
決して平和憲法、憲法9条のおかげではない。
日本人の多くは「軍事力」という言葉を出すだけで抵抗を感じる傾向があるが、日本人が日々享受している日本の平和は「軍事力で」維持されているのである。
もちろん戦争などするべきではない。
野蛮だからではない。
反省したからでもない。
ただただ「互いに損だから」だ。
そして戦争反対という『理想』は人間が人間らしく生きるために絶対に必要な尊いものであり、今後も世界中がそうあるべきである。
だがそれと同時に、『現実』からも目を逸らしてはならない。
ある程度成熟した人間なら、理想と現実は「同時」に見るべきなのである。
古今東西、人がたくさん集まるところから喧嘩や紛争が根絶された例はなく、人間の欲望は“理性で制御できる者とそうでない者”が確実に存在し、そして実際に戦争という行為は地球上から消えることなく存続し続けている。
それが否定したくとも否定できない『現実』だ。
国家は理想を語るだけでなく、同時に「現実的な方法」を選択し、戦争を避け、国民を守らねばならないはずである。
世界の国々と違って「戦争を未然に防ぐための力の裏づけ」を自前で持たないまま他国の軍事力に頼って「戦争反対」を叫んでいる日本は特に深刻な状況にある。
この稿続く。
以上はhttp://ccce.web.fc2.com/a.htmlからである。

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