とこしへに民やすかれと祈る天皇 — 伊勢神宮と神道文化の核心
明治天皇の御製に示された「祈り」と「まつりごと」を軸に、天皇が神道の大祭司として果たしてきた役割と、伊勢神宮を中心とする日本文明の精神的基盤を論じる。戦後憲法やメディアが語らなかった皇室の本質と、日本文化・美術・宗教の不可分の関係を明らかにする。
とこしへに民やすかれといのるなるわがよをまもれ伊勢のおほかみ
2016-11-05
以下は前章の続きである。
平川さんは、天皇が継承される神道文化とは、と題して論文を書いていたのである。
前文略
ではその聖俗いずれのおつとめが日本の天皇にとり大切か。
日露戦争の翌年、明治天皇は詠まれた。
(かみかぜの伊勢の宮居を拝みての後こそきかめ朝まつりごと)
天皇家にとり「まつりごと」とは「祭事」が第一で、天皇は国民にとってまず神道の大祭司である。
それだから「伊勢の宮居を拝みて」の後に「まつりごと」の第二である「政事」の仕事に国王として耳を傾ける。
「祈る」ことで祖先と「続く」
中略
いまの憲法に書いていないからといって、法学者は言及せず、官僚は自覚せず、新聞も報じないが、天皇家が民族の永生の象徴であるのは「祈る」ことにより祖先へと「続く」からで、存在することに意味がある。
皇室には歴史的にそのような聖俗二つの面があることを忘れないようにしたい。
文化や美術は、キリスト教文化とか仏教美術というように、宗教とともに発達した。
それぞれ特色があり、イスラム美術は建築・工芸にすぐれるが、神は不可視的存在として偶像崇拝は禁じられ、それゆえ肖像画・人体彫刻は少ない。
神道にも似た宗教文化的特性がある。
ルイ大王などと違って明治天皇の一幅の大肖像画や騎馬像がないのは、帝を描くことは畏れ多いという感覚が働いたからだろう。
聖俗の第一の面、明治天皇が天照大神に祈られた御製は、戦前は小学校教科書に載っていた。
《とこしへに民やすかれといのるなるわがよをまもれ伊勢のおほかみ》
《わが國は神のすゑなり神祭る昔の手ぶり忘るなよゆめ》
この歌は明治天皇のご子孫や国民へのご訓戒と拝察する。
謹みて皇室の御安泰を祈る次第である。
*当然ながら私は戦前の小学校教科書の事は、これまで全く知らずに来た。
もう言う必要もないと思うが、朝日新聞が伊勢神宮を否定し続けて来たのは、戦前の小学校教科書に載っていたからなのである。
そんな馬鹿げたことのために、彼らは、あの究極の美を否定し続けて来たのである。
そうして、大江健三郎は、川端康成のノーベル賞受賞演説「美しい日本と私」を否定したのである。
彼等こそ本当の大ばか者たちである。
欧米の知識人の中でも最高の日本通であったアンドレ・マルローが上げた、極めて明瞭な日本の最高は黙ってその事を告げているではないか。