「対手とせず」声明を超える決定的転換点 — 尾崎秀実が近衛声明を執筆していた
本稿は、月刊誌『正論』掲載論文の続編として、第二次近衛声明と東条英機の演説が国際社会に与えた衝撃を検証する。
日本と欧米の和平の可能性が決定的に断たれた歴史的分岐点において、声明文の背後に尾崎秀実が関与していた事実を明らかにし、日本の国策がいかに誘導されたかを描く。
これこそ、「対手とせず」声明よりも重大な歴史の岐路だったのである.
尾崎が近衛声明を執筆していた!
2016-11-09.
以下は前章の続きである.
とりわけ、この声明は、同十一月二十八日、東条英機陸軍次官(当時)が東京の軍人会館(現・九段会館)で行った「蘇支同時正面作戦の準備」演説とあわせて、国際社会に日本への警戒心を呼び起こしたことで重大な意味を帯びてくる.
東条は演説で、蒋介石が日本への抵抗を続けるのは、中国のほか東南アジアやインドに権益を持つ英仏、中国を日本との戦いで疲弊させて赤化させようと目論むソ連が支援しているからだと批判した.
さらに、日中戦争に対してまだ比較的中立だったアメリカに対しても警戒を呼びかけ、東亜新秩序建設のため、ソ連と中国への二正面戦争に備えるべきだと主張した.
公開の場での演説だったため、新聞でもセンセーショナルに報道され、国内の株式市場は暴落した.
欧米はこれを、第二次近衛声明の掲げる東亜新秩序とは、日本が中国全土を押さえ、日満支経済ブロックを築き、東アジア全体を日本の勢力圏に組み込む構想であり、さらに東南アジアへ南進する意思表示だと解釈した.
これは東アジアから欧米勢力を一掃しようとする、日本版アジア・モンロー主義の宣言であり、今や明らかになった日本の本音だと受け取られたのである.
大きな構図で言えば、この時点で、日本と欧米の和平の道は決定的に断たれたと言ってよい.
これこそ、「対手とせず」声明よりも重大な歴史の岐路だったのである.
尾崎が近衛声明を執筆していた!
この稿続く.