嵐山での慟哭――石平と京都紅葉、そして日本への帰属。

嵐山での撮影体験を通して想起された、**Sekiheiの慟哭と日本への帰化の精神的軌跡。著書私はなぜ「中国」を捨てたのか**の「新版まえがき」が、その理由を鮮やかに解き明かす。

石平さんが嵐山で慟哭したと言う風に私は覚えていた。
2016-11-19。
そのことを余すところなく、以下の本は解き明かしてくれた。
2015-11-23。
一昨年の京都の紅葉は10年に一度の当たり年だったが、去年もとても素晴らしかった。だが今年の京都の紅葉は高温や雨などの影響で外れの年のようなのだが。
一昨日、昨日と、私は我が家の庭でもある嵐山に向かった。一昨日は午後3時ごろに着いたために、ほどなく太陽はかげってしまった。天の配剤と言うべきか昨日も晴天だったから朝早くに嵐山に向かった。列車は嵐山までずっと大変な混雑、特に嵐山線は凄まじい込みようだった。
石平さんが嵐山で慟哭したと言う風に私は覚えていた。昨日の嵐山は快晴ではなかったが、望んだとおり写真撮影に必要な柔らかな陽光は何とか嵐山に降り注いでいた。
嵐山には私が1年に50回以上は撮影している撮影スポットが在るのだが、そこに着いたとき私は石平さんが初めて嵐山を観た時の感動が、そのまま私に乗り移ったように思ったのである。私は慟哭すら感じた。
昨日、私はこれまでの何百回と言う中でも最高の嵐山を撮り天龍寺のベストショットを撮った。我ながら本当に素晴らしい写真である事を確信している。
後日、私の写真についての考えと、例えば、今年亡くなった素晴らしい画家、石本正氏の絵に対する考え方とは全く一緒であることについて書くが。
何故、私が昨日慟哭すら覚えたのか、そのことを余すところなく以下の本は解き明かしてくれた。
「私はなぜ「中国」を捨てたのか」、と題して石平さんがワック株式会社から2009年8月14日に初版を発行した本である。
私は、このまえがきも日本の人たちのみならず世界の人が読むべき文章だと思う。
「新版まえがき」。
いくつかの場面ですでに報告していることだが、私石平は、2007年11月30日付で日本に帰化して、めでたく日本国民の一員となった。
翌年の2008年1月3日、当時関西在住の私は、新日本人として初めて伊勢神宮に参拝した。
五十鈴川に流れる神の国の聖なる水で体と心を清めた後に本宮にお参りして、日本民族の一員となったことを天照大神に報告した。
そして2008年3月24日、かねてから尊敬している中條高徳さんに引率される形で、人生初めての靖国神社昇殿参拝を果たした。
日本国のために尊い命を捧げた英霊たちにたいし、彼らの志を継がんと誓ったわけである。
この二つの「通過儀礼」をもって、私は身も心も日本国民の一員となったつもりであるが、振り返ってみれば、今まで私の歩んできた人生の道は、実に波瀾万丈なものである。
毛沢東を崇拝して「革命の小戦士」になろうと決心していたかつての中国人少年が、今や日本国民の一人として、日本の保守論壇で独自の論陣を張るようになっているのである。
その間における有為転変の激しさは想像のつくものであろう。
しかも、元中国人、石平の言論活動の大半が、まさに毛沢東共産党と中華人民共和国への痛烈な批判と、中国からの脅威に対する強い警告に費やされているのだから、運命の巡り合わせというのは、いかにも魔訶不思議なものではないのか。
伊勢神宮と靖国神社への参拝以来、新日本人としての自分のアイデンティティを疑ったことはI度もないが、時々今までの自分の人生を振り返ってみて、ある種の詩的な、あるいは哲学的な深い感慨に浸ることもある。
この稿続く。

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