日本近現代史を知らない国民。
日本国民の大半が近現代史を知らない原因を、戦後長年にわたり世論形成を主導してきたメディア構造に求める。産経新聞の連載記事を例に、榎本武揚による千島列島交渉の史実を示し、日本外交の実像と歴史認識の欠落を浮き彫りにする。
日本国民の大半は日本の近現代史について、全く知らないと言っても過言ではない。
2016-11-26。
日本国民の大半は日本の近現代史について、全く知らないと言っても過言ではない。
何故、そんな馬鹿な事になっているのかと言えば、これもまた、一昨年の8月までは、朝日新聞社が日本を牛耳って来たからであると言っても過言ではない。
私は朝日と日経と産経新聞の三紙に目を通しているが、今、最も事実に即した記事、つまり有益な記事を掲載しているのは産経新聞だと断言しても過言ではない。
以下は昨日のフロントページに掲載された、連載特集記事からである。
千島全島勝ち取った榎本武揚。
明治八年一八七五年三月八日、ロシアの首都サンクトペテルブルグ当時。
駐露特命全権公使を拝命した榎本武揚は露外務省アジア局長のピョートル・スツレモーホフと向き合った。
榎本「千島全島を譲るべきだ」。
スツレモーホフ「それは大島たる幌筵島までも望むのか」。
榎本「幌筵島のみならずカムチャツカまで連なる島々をすべて譲っていただきたい」。
スツレモーホフとの協議は延々と続いたが、榎本は粘りに粘り、ついに樺太を放棄する代わりに、カムチャツカ半島まで延びる千島列島全島の譲渡を勝ち取った。
榎本がロシア側全権のアレクサンドル・ゴルチャコフと樺太・千島交換条約の調印を交わしたのは五月七日だった。
旧幕府海軍の指揮官だった榎本は、箱館戦争五稜郭の戦いで敗北し、投獄されたが、その命を救ったのは、オランダ留学中に手に入れた「海の国際法と外交」の写本二巻だった。
明治政府は発足したばかりで外交や国際条約は門外漢ばかりだった。
榎本が所蔵する写本の存在を知った黒田清隆が、知人の福沢諭吉に翻訳を頼むと、福沢は一読してこう言った。
「この万国公法は海軍にとって非常に重要だ。これを訳すことができるのは講義を直接聴いた榎本以外にない。榎本に頼めないようでは邦家のため残念だ」。
黒田は榎本の助命嘆願に駆け回り、榎本は明治政府の要人としてその後活躍する。
ロシアとの領土交渉はその大きな成果の一つだ。
この稿続く。