北方領土侵攻。国際法を踏みにじったスターリンの論理。
北方領土へのソ連侵攻は明確な国際法違反だった。ヤルタ密約後の米ソのパワーゲーム、フランクリン・ルーズベルトの急死、ハリー・トルーマンの対ソ抑止、原爆投下、そしてヨシフ・スターリンによる既成事実化までを追い、北方領土問題が生まれた決定的局面を検証する。
北方領土への侵攻は明らかに国際法を踏みにじる行為だった。
それでもスターリンは国民向けの演説で。
2016-11-27。
以下は前章の続きである。
パワーゲームに翻弄。
ヤルタ会談から約二カ月後の1945年昭和二十年四月十二日、フランクリン・ルーズベルトは急死した。
ハリー・トルーマンが大統領に就任した。
トルーマンは筋金入りの反共主義者で、ヤルタ密約の存在を知り、ソ連の対日参戦の封じ込めに動いた。
くしくも1945年昭和二十年七月十六日、米国はニューメキシコ州で原爆実験に成功した。
ソ連の力は不要となり、トルーマンは日本を早期降伏させ、スターリンの野望を打ち砕こうとした。
八月六日、広島市にウラン型原爆リトルボーイを投下した。
日本の即座の降伏を恐れたスターリンは予定を早めて八日に日本に宣戦布告し、翌九日に満州などに軍を一斉侵攻させた。
昭和天皇の聖断により、日本政府は十四日深夜、ポツダム宣言を受諾した。
翌十五日、トルーマンは一般命令第一号と呼ばれる書簡をスターリンに送った。
文書には日本が明け渡すべき地域が列挙されていたが、ソ連が求めた千島列島は含まれていなかった。
スターリンは修正を求める密書を送った。
それには千島列島全島に加え、北海道北半分の割譲も要求していたが、トルーマンは千島列島の軍事使用権を要求して切り返した。
結局、スターリンは北海道上陸作戦を中止した。
唯一の核保有国である米国との関係悪化は得策ではないと考えたからだった。
敗戦当日から日本はなすすべなく、千島列島は米ソのはざまで漂流する浮遊物のように扱われた。
スターリンはトルーマンとの交渉をやめ、占領を既成事実化する手段に出た。
ソ連第二極東方面軍は八月十八日、カムチャツカ半島を南下し、千島列島北端のシュムシュ占守島に侵攻した。
八月二十八日に択捉島、九月一日から五日までに国後島、色丹島、歯舞群島の北方領土全てを占領した。
日本が米戦艦ミズーリ号で降伏文書に調印したのは九月二日だった。
北方領土への侵攻は明らかに国際法を踏みにじる行為だった。
それでもスターリンは国民向けの演説でこううそぶいた。
「南樺太と千島列島がソ連に移り、これらの地域がソ連を大洋と直接に結びつける手段として、またわが国を日本の侵略から防衛する基地として役立つようになるのだ。
今、世界の諸国民にとって待ち焦がれた平和がやってきたのだ」。